ソーシャルアクションラボ

2024.07.16

「みんなの0円物件」で守られた湿原 キタサンショウウオ生息地

 分布が北海道東の釧路湿原にほぼ限られ、絶滅が危惧される両生類・キタサンショウウオの生息地が支援を募って土地を取得し、管理する「ナショナルトラスト」で実績のあるNPO法人の手で保全されることが決まった。きっかけは不動産の無償譲渡マッチング支援サイト。サイトを介してキタサンショウウオの生息地が守られるのは初めて。【本間浩昭】

「原野が0円」と紹介

 釧路市新野に広がる原野の一部(396平方メートル)が、インターネットの「みんなの0円物件――無償譲渡物件の不動産マッチング支援サイト」に掲載されたのは5月10日。「釧路空港から車で約12分、未開拓の分譲地内にある原野が0円」と紹介された。「昭和37年に父が購入した土地を相続(中略)地主になりたい方、釧路の自然を守りたい方などどなたでもご興味のある方に譲渡させていただければ」などとアピールされていた。

 サイトを見たNPO法人「トラストサルン釧路」は「ぜひ入手し、保護地として保全したい」と仲介依頼のメールを送った。土地の北側の湿原に、環境省のレッドリストで絶滅危惧ⅠB類とされ、釧路市の天然記念物にも指定されているキタサンショウウオの多数の卵のうが確認されていたからだ。

 キタサンショウウオは国内で数少ない「氷河期の遺存種」の両生類だが、2020年のレッドリストの改訂で絶滅危険度が一気に2段階も上がった。見直しの際の補遺資料に、「生息・繁殖地の3分の2程度が保護区外にあり、道路開発、宅地・農地開発、太陽光発電施設建設等による繁殖地消失が継続している」と明記され、中でも急激に進む太陽光パネルが生息地を奪っている。まさに滅びの淵に立たされている種で、NPOにとっては「何としてでも保全したい土地」だった。所有権移転登記は6月26日に行われた。

 譲渡を受けたトラストサルン釧路は、1988年に任意団体として設立され、2000年にNPOに移行。釧路湿原や周辺の土地をナショナルトラストの手法で保全するため、土地の寄付や浄財を受けて活動する。釧路湿原周辺の59カ所計607ヘクタール(3月末現在)を「保護地」として守ってきた実績をもつ。黒沢信道理事長(67)は「保護地として保全したい。本当によかった」と語る。

土地の元所有者「手放そうと考えていたが…」

 今回、土地を無償譲渡した元所有者は、かつて釧路市に暮らした札幌市在住の男性会社員(67)。父親が亡くなり、土地を3年半前に相続した。固定資産税は免除されていたが、評価額は約120坪でわずか2090円だった。「活用できる土地ではなく、手放そうと考えていたが、まさかキタサンショウウオが生息する土地とは知らなかった」

 土地の処分方法をインターネットで調べているうちにたどり着いたのが、0円物件のサイトだった。照会したところ、測量も不要ということで、掲載を依頼したという。「湿原を保全する団体に譲ることができてよかった」と胸をなで下ろした。

 0円物件のサイトを運営する0円都市開発合同会社(旭川市)の中村領代表(46)は今回、計30件の問い合わせのうち、3分の2が取得後の用途として、「環境保護」や「景観維持」を挙げていたことに驚いたという。

 中村代表自身も「負動産」を相続して途方に暮れ、空を見上げた経験がある。「今や、『売りたい人』と『買いたい人』とのマッチングが重要な時代。今回のようなケースが後に続くといいですね」と話した。

記者が現地を歩くと…

 釧路湿原国立公園に近い釧路市新野の原野が、「0円物件」のマッチングサイトに掲載されていると聞き(6月に無償譲渡が成立)、絶滅が危惧されている両生類・キタサンショウウオの研究者で、NPO法人「環境把握推進ネットワーク-PEG」の照井滋晴代表(41)と5月末に現地を歩いた。すると、譲渡物件の境界線から50メートル以内に「湿原のサファイア」とも呼ばれるキタサンショウウオの卵のうの抜け殻が確認された。

 紫や青のエゾエンゴサクの花が終わりを迎え、ニリンソウの白い花が可憐に咲き誇る初夏の湿原。薄茶色のヤチボウズの上部は、新たに芽生えた葉や茎が緑色に立ち上がり、季節の移り変わりを告げていた。明渠(めいきょ)が掘られ、水はけの悪さを物語る。

 「数年前のことですが、このあたりでキタサンショウウオの卵のうを100個ほど確認しました」。照井さんが指さしたのは、水たまりのような小さな沼。目をこらすと、茶褐色に退色した卵のうの抜け殻がいくつもあった。それは、今年生まれの幼生がすでにふ化したことを意味していた。

 不動産の無償譲渡を仲介するインターネットサイトの情報を基に湿原を踏み分けていく。キタサンショウウオの幼生は7月下旬~8月上旬にかけて上陸し、ほとんど人目につかなくなってしまうが、産卵した水域から少なくとも100メートル程度が行動範囲といわれる。

 「50メートルあるかないかですね」。卵のうの抜け殻を確認した水たまりから「0円物件」で紹介されていた物件の境界線までの距離だ。「この付近は生息地と考えて間違いないでしょう」。照井さんの表情がほころんだ。

 サイトの土地紹介にあったのは「釧路市新野希望ケ丘分譲地」。夢あふれるネーミングとは名ばかりで、あたり一面、ヤチボウズとホザキシモツケだらけの湿原。そもそも道路と接していないため、家すら建てられない。

 大規模な太陽光発電計画が急速に進む釧路湿原は、主に1970~80年代、価値の低い土地をだまして売りつける「原野商法」の嵐が吹き荒れた。建築基準法は、原則として幅員4メートル以上の道路に間口2メートル以上接している必要があり、道路と接していない土地は家すら建てられない。なのに不動産ブローカーは格子状の小さな区画に分筆して、「将来、値上がりが見込まれます」などの派手な広告で顧客を呼び込んだ。現地を見ずに買う人もおり、釧路湿原周辺は活用できずに「塩漬け」状態にある土地が1000筆以上あるといわれる。「釧路市新野希望ケ丘分譲地」もそのような分譲地の一つだったのだろうか。

 「周囲には高圧線鉄塔が建っています」。物件紹介は、太陽光発電事業者に向けてもさりげなくアピールがされていた。たしかに、物件紹介の写真に鉄塔も映り、送電網との接続距離が近いことを印象づけていた。

みんなの0円物件

 不動産の「あげたい」と「ほしい」とをつなぐ無償譲渡物件のマッチング支援サイト。インターネット上に無償譲渡したい物件情報を掲載し、希望者との間を仲介するシステムで「0円土地開発合同会社」(旭川市、2019年設立)が運営する。掲載費用はかからない。設立以来、成約件数は1000件を超え、成約率は8割強という。

関連記事