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2026.06.05

水を治める 先人たちの決意と熱意、技術に学ぶ 願いを語り継ぐ「水の神さま」~河童の憂うつ?~ 連載74回 緒方英樹

「水の神さま」への願い

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」

 この文から始まる鴨長明「方丈記」は、京都を襲った災害現場をドキュメントタッチでつづった最古の災害文学といえるでしょう。平安時代の都を大火、竜巻、地震、洪水や台風による飢饉(ききん)などが相次いで襲い、伝染病も蔓延(まんえん)しました。

 現代でもよく聞かれるフレーズ「今まで体験したことのない」という想定外の災害に、鴨長明が体感した無常観は、大自然の猛威に対する人間の無力感に満ちています。

 日本人は、そうした無力感を、繰り返し、繰り返し経験して今に至っています。過去10年間には約97%の市町村で水害・土砂災害が発生しています(国土交通省河川事業概要2025)。その中で、水は恵みをもたらすと同時に、大いなる恐怖を植え付けてきました。

 そこで地域の人々は、日照りの時は雨が降ることを願い、大雨や長雨の時は「水の神さま」を祀(まつ)りました。「水の神さま」は私たちの暮らすさまざまな場所と形で残っています。大きな神社や小さな祠(ほこら)、その土地や特定の建造物などを守護する鎮守神もあります。

隅田川神社(東京都墨田区堤通)
隅田川にかかる水神大橋(すいじんおおはし)
=2点とも筆者撮影

                      

 隅田川神社は、言い伝えによれば源頼朝が創建したといわれ、古くは水神社、水神宮、浮島宮などとも呼ばれていました。「水神さん」として親しまれてきた神社の例大祭が毎年6月中旬に開催されています。


 隅田川の東西をつなぐ水神大橋(すいじんおおはし)は、「隅田川神社(水神宮)」にちなんで名づけられ、東京都の防災拠点として位置づけられている付近の汐入公園、東白鬚(ひがししらひげ)公園をつなぐ連絡橋にもなっています。

 春に山から里に降りてきて稲の生育を見守り、収穫後に再び山に帰るといわれる「田んぼの神様」がいます。主に南九州に多く「田の神さぁ(タノカンサァ)」と親しまれています。 

 この神様は江戸時代中期ごろから五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って、また、噴火など山の神の怒りを鎮める願いも込めて、田んぼが見渡せる所に置かれた石像で旧薩摩藩領内に多く見られます。その個性的な姿は、一つとして同じものはないということです。

唐獅子彫刻の台座の上に法衣をまとって立ち、蓮の葉をかたどった冠をかぶっている田の神さぁ(宮崎県小林市)撮影・國府謙一

河童の憂うつ

河童は一般には「かっぱ」と呼びますが、地域によって「河太郎(かわたろう)」「ガラッパ」「メドチ」「エンコ」など多様な呼び方があります。日本列島の青森から沖縄に至る川、池、沼、海などの水界にすむ妖怪です。


 民俗学者の柳田国男が執筆した「遠野物語」の舞台として知られる岩手県遠野市。同作に登場する河童伝説の舞台でもあり、常堅寺(じょうけんじ)の裏手に流れる小川の淵には昔から河童(川童)がすんでいたと伝えられています。

うっそうとした茂みに覆われ、今にも河童が現れそうな遠野市のカッパ淵

柳田国男が1910(明治43)年に発表した「遠野物語」は、岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集です。その「遠野物語」第58話には、馬を川へ引きずり込もうとする、いたずら好きなカッパの話があります。しかし、「遠野物語」に登場する河童はユーモラスな、あるいは親しみやすい存在ではなく、人に累(るい)を及ぼす怪異な「もののけ」とでもいえるでしょうか。


 なぜなら、「遠野物語」の背景には、幾度となく凶作や飢饉に見舞われて厳しく貧しい暮らしを強いられた歴史があるからです。そこで必要に迫られたのが「口減らし」です。子どもを河童の神様のもとへ「返す」という風習があったことを、この物語は淡々と語ります。幼いころに悲惨な飢饉を体験したことから民俗学を志した柳田国男にとって、遠野地方で聞いた河童の話は決して非日常とは映らなかったのだと思われます。

柳田国男(1875~1962) 毎日新聞社「毎日グラフ(1951年10月10日号)」より

河童は、日本三大妖怪の一つであるといわれていますが、河童自身にとっての憂うつは、妖怪と言われて怪しまれたり、時には笑われたり、自分のアイデンティティーをきちんと理解してもらえていないことかもしれません。


 何となれば、古く伝承の中で河童は水神が姿を変えた精霊であるといわれています。さらに、柳田国男によると、かつて水の神として尊重され、信仰されていた水神が零落(れいらく)した姿が河童だというのです。河童が馬を川へ引きずり込む話は、水の神へ馬が捧げ物とされていたことの名残だと推察しています。中国の黄河では、洪水や日照りの際には、黄河の龍神に牛や馬を生け贄として捧げ、河が氾濫しないことを祈った歴史があるようです。古今東西、河童伝説は恵みと災いをもたらす川を象徴しているのかもしれません。

 その黄河の上流にすんでいたとされる河童一族は、海を渡って九州の球磨川にすんで一族を成し、肥後の加藤清正に攻め立てられて筑後川にすんだとか。

 かつては水の神だった河童さん、時代の変化の中でその地位を落としていったのだとしたら、河童の憂うつはいかばかりかと同情を禁じ得ません。

緒方英樹(おがた・ひでき) 土木学会土木広報センター土木リテラシー促進グループ  著書「大地を拓く」(理工図書)で2022年度土木学会出版文化賞を受賞