ソーシャルアクションラボ

2026.09.18

水を治める 先人たちの決意と熱意、技術に学ぶ  水をコントロールする~戦国武将の治水から、現代の雨庭(レインガーデン)づくりへ~ 連載76回 緒方英樹

戦国武将はなぜ治水をおこなったのか?

 古来、「国を治める者は、まず水を治める」と言われてきました。

 治水(ちすい)とは、洪水などの水害から人や土地・財産を守るために水をコントロールすることです。でも、群雄割拠、日々の多くを戦(いくさ)に明け暮れていた戦国武将は、なぜ、誰のために治水事業を行ったのでしょうか。

1553(天文22)年~1564(永禄7)年の12年間、甲斐(山梨)の武田信玄と越後の上杉謙信が北信濃の領有をめぐって戦ったとされる川中島の合戦

 日本の戦国時代、大名やその家臣の有力武将などを戦国武将と呼びますが、その時代、災害や領地の奪い合いなどが多く、村民は、生き残ることが最大のテーマでした。そして、地域を治める武将は、自分の統率する領地や村人を守らないと、どうなるのか。


 1559(永禄2)年から4年までの3年間、戦国時代の富士山北麓地域の様子を克明に記した「勝山記」(かつやまき)に、「疫病はやり、悉(ことごと)く人多く死すこと限りなく候……村郷あき申す事、限りなく候」と記されています。

 「村郷あき申す」、すなわち村が空(あ)くとは、洪水や病気で多くの村人がいなくなるという意味です。地域の武将(領主)と農民は、お互いに必要なギブ・アンド・テイクの関係でした。戦で領土を広げたい領主にとって領民の役割は、田畑を耕して領土を豊かにするだけでなく、戦時には、足軽、荷物運び、城をつくる、橋を架ける、道をつくるなど戦に不可欠な存在でしたので、村が空くことは何としても避けなければなりませんでした。

武田信玄は、川の水が大洪水を起こす前に、あちこちで水のエネルギーを弱める様々な作戦を考えました。その代表的なものが、当時、土手の長さが350間(約650㍍)と推定される釜無川の信玄堤です。堤には、上流の堤防と二重になるようにした不連続な霞堤防が用いられました。

 例えば、川中島で上杉謙信と戦った武田信玄しかり。信玄が父を追放して武田家17代当主を継いだころの甲斐国(かいのくに)は、笛吹川、釜無川、御勅使(みだい)川といった扇状地から形成された甲府盆地で、「国中ノ人民牛馬畜類共ニ愁悩セリ」(「塩山向嶽禅庵小年代記」山梨県指定文化財)とあるように、領民はおろか牛馬まで疲弊(ひへい)していました。大雨になると四方八方から流下する河川が何度も氾濫を繰り返していたのです。


 甲斐国を豊かにして強い領土をつくる。そのためには、洪水被害から土地を守ることが最優先と考えた信玄は、信玄堤(しんげんづつみ)に代表される治水工事に取り掛かります。
若き領主は、水の観察から始めました。「水はどう流れ、土砂はどう動くのか」。信玄は、昔を知る古老たちに耳を傾け、水を鎮める知恵や工夫すなわち土木のやり方を討議して、ある結論に達しました。「水の力に逆らわず、水の力を利用する」。そして、1541(天文10)年に始めた大工事は、1560(永禄3)年、実に20年近い年月をかけて完成しました。

 この武田信玄に代表されるように、領地と村人を、他の戦国武将の略奪や、災害から守る。さらには、米や穀物などをつくり、豊かな領地にする、それら産物を運ぶ道も整備して経済基盤を確立することが、戦国時代のリーダーとなれる最低条件だったのです。
それから500年余り、時代は大きく変わっても「国を治めるために水を治める」ことは、施政者と住民にとって最大のテーマであることに変わりはありません。

今まで経験したことのない! 現代の水害と内水氾濫

「今まで経験したことのない!」というフレーズが日本だけでなく、世界各地で頻繁(ひんぱん)に聞かれます。最近では、日本の各地で「レベル5大雨特別警報」が発表されるなど、各地を豪雨や土砂災害が襲っています。そして、水害の質もレベルも変容し、局地的大雨、線状降水帯、記録的短時間大雨、それによる冠水など“地球温暖化による水害時代”に突入しているといえるでしょう。


 また、都市部では行き場を失った水が「内水氾濫」を発生させていることも私たちの不安と恐怖をあおっています。今年8月、千葉県を襲った豪雨では、計2万1100トンの雨水をためられる千葉市中心部の貯留槽3施設が全て満杯になって、25メートルプール約54杯分相当からあふれて内水氾濫を起こしました。ハード面の対策だけでは追いつかないほどの、想定を上回る異常さを見せています。

 水害には、河川の水位が堤防を越えたり、堤防が決壊したりすることで川の外に水があふれ出す外水氾濫と、大雨によって下水道や排水路の処理能力を超えた雨水が排水しきれず、道路や低い土地にあふれ出す内水氾濫があります。特に、都市部では、川から離れた市街地でも内水氾濫は発生します。

ゲリラ豪雨により下水や側溝が処理しきれずに、今にも水があふれ出す気配が見え始めている

 先年、東南アジアの田舎から東京へ遊びに来た友人が、散歩の途中で立ち止まるとこう言いました。「土がほとんどないね」。ほとんどの地面がアスファルト・コンクリートで覆われた光景に驚いていました。


 こうした地面は、水を吸収しません。すると雨水は、低いところへと流れます。全て地表の上を流れて、下水道に流れ込みます。処理しきれなかった雨水が、マンホールから噴き出したり、道路にあふれ出たりします。

 国土交通省の調査によれば、近年の水害における浸水被害のうち相当の割合が内水氾濫によるものとされており、都市部では外水氾濫よりも内水氾濫の発生件数が多い年もあります(国土交通省「内水浸水対策の現状と課題」)。2021年までの10年間で内水氾濫によって浸水したのは約20万棟で、浸水棟数全体の6割。2023年も35都道府県で約2万6000棟が被害を受けるなど、近年は毎年のように大規模な内水氾濫が発生しているといいます。

グリーンインフラを守るために、一人一人ができることは

 では、いつ発生するかも予測しづらい内水氾濫に対して、私たち一人一人ができることはないのでしょうか?


 もちろん、あちこちで頻発する内水氾濫への対策として、あらかじめハザードマップを確認し、自分の住んでいる地域の浸水危険性を知り、いざという時にとるべき避難行動について考えておくことも大事です。浸水が発生しても建物の上階に避難すれば安全を確保することができますが、お風呂や洗濯機、トイレ等の排水口から逆流した水があふれる場合もあるので注意が必要です。一方、首都圏では内水氾濫の防止も考慮した地下調節池の整備が進められています。

武蔵野市の武蔵野中央公園から西東京市の南町調節池を結ぶ地下トンネル式の石神井川上流地下調節池事業が進められている=筆者撮影

 例えば、東京都による石神井川上流地下調節池整備計画では、武蔵野市の武蔵野中央公園から西東京市の南町調節池を結ぶ貯水量30万立方メートルの巨大なトンネル式調節池の施工が始まっています。こうした大規模な事業では、地域住民をはじめ多くの関係者との情報と意識の共有が不可欠です。

 最近耳にするグリーンインフラという言葉は、自然の多様な機能を活用した社会資本をいいますが、要は、自然が持つさまざまな機能や利点を災害への備えとして生かすという考え方です。その一つの取り組みが、雨庭(あめにわ・レインガーデン)づくりです。

 雨庭とは、屋根やアスファルトなどに降った雨水を、排水路や河川に直接放流させず、一時的にためる、浸透させるための庭や空間のことを指します。雨水を地中に浸透させて自然に循環させることで、水害の抑制や景観向上に役立ちます。これにより排水管や河川に一度に流れ込む水量を抑えられ、集中豪雨時の浸水リスクが低くなるのがメリットです。雨水を一時的にためることで氾濫を抑制し、地下水を涵養(かんよう)することで健全な水循環に貢献する雨庭づくりは、個人住宅から公共施設まで徐々に導入が広がっています。

シモキタ雨庭広場 小田急線下北沢駅南西口あるいは京王線下北沢駅西口より徒歩5分

 時代とともに進んだ都市化は、私たちの暮らしにとって便利さと効率を与えてきた一方で、道路だけでなく建物の周りや駐車場、散歩道さえコンクリートで固めてきました。そのことが何をもたらしているのか、水の視点から見直してみませんか?


 雨庭という概念は1990年にアメリカのメリーランド州で治水対策(下水の負荷軽減、水質浄化、地下水涵養など)の一つとして生み出されたものだそうです。

 私たちにできる小さな歩みではありますが、各家庭や地域でできる水害対策。あなたの家や近くの公園にも雨庭をつくってみませんか?

緒方英樹(おがた・ひでき) 土木学会土木広報センター土木リテラシー促進グループ  著書「大地を拓く」(理工図書)で2022年度土木学会出版文化賞を受賞