ソーシャルアクションラボ

2023.07.21

〝ちゃんとやらせよう〟が、子どもを萎縮させていく。不登校を支援する臨床心理士のアドバイス|せんさいなぼくは、小学生になれないの?㉒

㉒2022年5月10日

本日は、むすことふたりで、不登校を支援する小さなフリースクールを開設している臨床心理士の方のところへ相談に行く。

駅前のアパートの1室に、そのフリースクールはあった。先生は、元教師で、スクールカウンセラーなどもしている50代くらいの女性。不登校支援のNPOの代表をしている。インターンの大学生なども手伝っているようだった。朝9時半に訪ねたためか、この日は利用者はほとんどいなかったが、普段は中高生が多くて、小学生は少ないと言う。

臨床心理士の先生に、開口一番に聞かれたのが、「先生がしっかりしすぎていませんか?」という問いだった。臨床心理士の先生によると、躾が厳しい先生のもとで、不登校が生まれやすいのだという。

そのときまで、ぼくはむすこの担任は、わざわざ放課後によく顔を出してくれて、〝よい先生〟と思っていたのだが、はたと気付かされた。

これまでこの日記には書いていなかったのだが、たしかに、学校で付き添いをしていると、先生のクラスの子どもたちに対する指示は、なかなか厳しく見えたのだ。

「◯◯さん、マスクがずれてます。手を洗ってきなさい!」「整列しましょう。◯◯さん、おしゃべりしてたね。席に戻りなさい!」……。

大人の視点からすると、学校では、そんな厳しさもよくあったような気もして、「むすこの担任は、わりと厳しい先生だなあ」とか「会社でも上司が部下を面罵しちゃいけないと言われるのに、学校では許されているのだな」などと、内心思いながらも、ことさら大きな問題だとは思っていなかった。

そして、次に聞かれたのが、「親がしっかりしすぎていませんか?」だった。臨床心理士の先生によると、親が子どもの躾に厳しすぎる場合も、子どもが追い詰められていくことがあるという。我が家の場合、さほど躾に厳しいとは思わなかったが、4月の登校を促すためのやりとりは、「ちゃんとしなさい」「なんでやらないの」といったかたちになりがちで、むすこを追い詰めていたことは間違いなさそうだ。

いろいろと話を聞いているあいだ、臨床心理士の先生は、「怖かったよね」「よくがんばったね」などと声をかけ、「箱庭療法」の砂に動物フィギュアをのせてむすことあそんでくれた。

すると、わずか30分ほどで、いつも人見知りで人前でしゃべらないむすこが、べらべらとしゃべり、楽しそうにしている。

「この人は、自分のことをわかってくれている」

むすこは、口に出してそうは言わないけれど、態度が明らかにそう示していた。子どもとの信頼関係をつくるには、まず、子どもがあるシチュエーションで模範的にどう感じるべきか、ではなくて、たとえそれがネガティブな感情であっても、実際のところ何を感じているかに寄り添うこと

そして、いっしょにあそぶことなのだろう。そして、それって、そんなに難しいことではなく、相手に寄り添う気持ちさえあれば、だれにでもできることでもある。

以下に、いただいたアドバイスの要点をまとめてみた。

・我慢して登校を続けると、後々こじれてしまうこともある。その意味で、正直に感情を出しているのはいいこと
・行かないことを主張することで、親や先生の注意を引こう、変わってもらおうとしている
・本人がいやと思っている条件をとりのぞいてあげられるよう配慮していくのがよい
・先生が〝しっかりしすぎている〟ときに、こういうことは起こりやすい。〝ちゃんとやらせよう〟という大人の意識が、子どもを萎縮させていく
・先生には、子どもの声を伝えたほうがいい。叱りかたについても、言ったほうがいい。本人も気づいてなかったり、余裕がなかったりするので。叱って子どもの行動管理をしようとしても、効果はない。かえって、叱るまでは、やっていいと考えるようになったりする
・先生にとって、不登校は「恥」と感じるもので、なんとかしようと思っているはず
・担任は2年生のときに変えてもらったほうがいい。仲のいい子や、どんな担任がいいかは校長や教頭と事前に話すのがよい
・集団登校も上級生が指導的になったりする環境なので、むりにはしないほうがよい
・親も〝しっかりしすぎている〟と、家でもきっちりさせようとしたりして、より一層、子どもの感情がおさえられてしまう。家庭では、甘やかしてあげるくらいでちょうどよい
・明日行くかどうかみたいな話はプレッシャーになるだけなので、しないのがよい。そのときどきの気持ちに寄り添えば良い
・学校のなかに居場所をみつけられると良い
・親は焦るが、本人のペースが大事
・夏休みあけくらいに学校に行けるようになればそれでいいのではないか

学校が学習指導要領などでがんじがらめになっていくなかで、あるいは、核家族の家庭が子育てを家庭にかかえこんでいくなかで、子どもが息抜きする「隙間」をみつけにくくなっているのかもしれない。

何も解決はしていないが、少しむすことの対話の糸口が見えたような気がして、心が少し軽くなっていく。先生との関係性も考え直す必要がありそうだ。そして、家庭でもやれることはあるだろう。ひとまず、以下のようなことを実践してみようと考える。

・合わないのに無理して学校には行かない。行きたければ行く
・行きたくない要素は取り除けるよう学校に働きかける
・学校のなかで行きたくなる場所を探せないか検討
・宿題は本人のペースでやらせることを学校に宣言する

この訪問のあと、むすこは妻と給食を食べに学校に行くことになっていたのだが、この日も、登校はできずじまいで、家に帰ってくることになった。

学校に行くことが当たり前という社会規範をいちど捨てて、目の前のむすこの気持ちにひたすら寄り添ってみる。それを続けてみよう。もちろん、完璧にできるわけではないけれど。

【書き手】沢木ラクダ(さわき・らくだ) 異文化理解を主なテーマとする、ノンフィクションライター、編集者、絵本作家。出版社勤務を経て独立。小さな出版社を仲間と営む。ラクダ似の本好き&酒呑み。

【我が家の家族構成】むすこの父である筆者(執筆当時40歳)は、本づくりや取材執筆活動を行っている。取材や打ち合わせがなければ自宅で働き、料理以外の家事を主に担当。妻(40歳)は教育関係者。9時~17時に近い働き方で、職場に出勤することが多い。寡黙で優しい小1の長男(6歳)と、おしゃべりで陽気な保育園児の次男(3歳)の4人家族。