2023.05.19
ハイタッチで、バイバイ|せんさいなぼくは、小学生になれないの?④
朝7時50分。いつもの集合場所に出発の時間。もう慣れたものだ。
むすこではなく、親の自分が、だが。
昨日、むすこは妻とぼくに学校の話は何もしなかった。
集合時間ぎりぎりまで、メダカの水槽の壊れた陶器のパイプで遊んでいる。ランドセルに教科書をなかなか入れようとしない。昨日どろだらけになった靴の代わりにサンダルを履いたかと思ったら、べつの靴に履き替えるなど、ゆるやかにしぶりを見せている。
昨夜も、今朝も集合場所に向かうまでは、学校の話はあえてしないことにしていた。
余計なプレッシャーを与えないためだ。家を出て、手をつなぎながら歩く。
「きょうはいつバイバイする?集合場所でできる?」と聞いてみる。
「いやだ」
「じゃあ、玄関の入り口でいい?」
と立て続けに聞くと、わりとあっけなく、「うん」と答える。
教室まで行かなくて大丈夫なのだろうかと、むしろこちらが思ってしまう。納得すると、有言実行する性格なので、きょうは本当に一人で行く決心を固めたのかもしれない。前日も、前々日も同じクラスの子や近所の子と、公園でたくさん遊んだから、少しずつ気持ちが落ち着いてきたのかもしれない。
公園でほかのお母さんたちに話を聞いていると、むすこ以外の子たちも、入学前からおねしょをするようになっていたり、あるいは、午後6時にはすでに電池が切れたように疲れ果てていたりするそうだ。うちの子も、昨日は学校が終わった後、公園でどろだらけになって遊んで疲れ果て、7時には寝ていた。
それぞれ、緊張し、疲れを抱えている。
8時少し前に集合場所に全員集まると、子どもたちの列が進む。「行ってきます」と、自分も小学生に混じって進んで行く。
「○○くん、友達できた?」と6年生のしっかりものの男の子が1年生の子に1人ずつ声をかける。うちの子だけは、相変わらずむごん。
「昨日も友達と公園で遊んだよね」とぼくが代わりに答える。
「4年生になると、みんなやるクラブ活動があるんだよ」などと、学校のことをその子はいろいろと教えてくれている。
高学年の子が列を誘導して、親が一人最後尾に付く。道路の右端を歩かせていく。
きょうは、登校路がとても混んでいて、たくさんの子どもたちが狭い公道にあふれていた。谷を下ったところに、黄色い旗を持ったおじさんがいる。先頭の女の子が、「1年生、2年生、あいさつをしますよー」と言って、「おはようございます」と、あいさつする。そうやって、子どもたちが自然と教えあっていくようだ
注:これも不登校に詳しい臨床心理士に、HSC【ひといちばい敏感な子ども】にとってはプレッシャーになることがある、と言われた。
谷底から坂を上ると、〝おはようおじさん〟がきょうもマンションの前にいる。
「おはようございます、いってらっしゃい」
半分くらいの子どもたちが、あいさつしながら通り過ぎていく。
むすことは特に何も話さず、手をつないだまま学校前にある陸橋を渡り、校門をくぐる。グラウンド脇では、ボランティアのおじいさんとおばあさんが庭の手入れをして、花を子どもに分けている。ドッジボールをする高学年の子どもたちが、玄関からわっと出てくる。
そんな風景も見慣れたものになりつつある。玄関に入ると、むすこは靴を自分で履き替える。
*
と、かたわらに、少し目のうるうるした女の子が立っていて、困った様子でいる。
「どうしたの?」
「傘をどこにおけばいいのかわからない」
今日は、くもりで雨も降りそうだ。名前とクラスを聞いて、傘立てをしばし探してあげる。
「玄関の脇にあったよ、自分の名前は読めるかな?」と連れて行ってあげると、名前のひらがなは読めないようだが、出席番号は読めたようだ。「25番は誕生日と同じなんだ!」と言って、顔がパッと明るくなった。安心したように傘をしまう。
小学校では、子どもたちはいったん親の手から放りだされる。
教室への道も自分で覚えなくちゃいけない。先生や大人が、いつもそばにいるわけでもない。
不安や心配、ひっかかりの種は、小さなところにたくさんあるのだろう。
それを少しずつ乗り越えていく。
むすこのところに戻ると、靴を履き終えていた。
「じゃあ、玄関でバイバイするよ」
幼稚園でやっていたように、「タッチ」と言って、ハイタッチしようとした。むすこは、一瞬手を握ってひっぱろうとしたが、もう一度、「タッチ」と言ってうながすと、右手をあげて元気よくパチンとした。
「じゃあね、バイバイ!」
それでスイッチが入ったのか、そのまま手を振って離れていく。こわばっていた顔が、笑顔になっていた。同じ登校班の子たち2人と一緒に並んで、教室へ向かって歩いていく。その姿を手を振りながら見送る。なんだか、あっけない。
でも、楽しそうに歩いていく小さい子たちの後ろ姿を見ていると、ほっとして、少し目がうるむ。
しばらく立ちつくした。
それぞれのペースで、子どもたちは親の手の届かぬところへ離れていく。
うれしいけれど、少し寂しくもあった。
付き添い日記は、おしまい(だといいんだけど)。