ソーシャルアクションラボ

2023.04.23

生活一変…でも伝わりにくい がん経験者、ヘルプマークは「お守り」

 外からはわかりにくい病気や障害を抱える人が、助けや配慮が必要なことを周囲に知らせる「ヘルプマーク」。三重県四日市市在住の田中麻莉絵さん(39)は、赤地に白十字のマークを知ってもらおうと東海地方を中心に活動している。「体の不調が出てしまった時に、優しく対応できる心の余裕のある社会であってほしい」と願う。【寺原多恵子】

 2014年、血液のがんの骨髄異形成症候群と診断され「余命5年」と宣告された。入院を余儀なくされ、名古屋市でウェブ制作会社の社長として忙しく働いていた生活が一変した。「いつも通りの生活に、仕事に戻りたい」。1年間の療養生活を乗り越え、仕事に復帰した。

 しかし、体力は大幅に落ちていた。長い距離を歩くことができなくなり、頻繁に貧血になってしまう。通勤電車で優先座席に座っていたら、高齢者に「そんな所に座っていて恥ずかしくないんか」と言われ肩身の狭い思いもした。いつ倒れるか分からないほどの不調を抱えていても、健康な人と見た目は変わらないため、周囲に伝わらない。「自分には何ができるだろう」と考えていた時に、ヘルプマークを知った。

 当時、東海地方の自治体でヘルプマークは配布されておらず、認知度はまだ低かった。外見からは病気に気付いてもらえない悩みをフェイスブックに投稿すると共感の声が多く寄せられ、マークの普及活動を始めた。

 17年に、約1万人の署名と共に、名古屋市から当事者へのマークの配布を要望した。18年には三重県で導入された。その後も、学校や企業の研修で自身の体験について講演するなど精力的に活動を続ける。そんな中で、活動を始めた当時と比べ、認知度の高まりを感じている。

 一方、マークに酷似したグッズを音楽家がCDの購入特典として製作したことに批判が集まり、CDの発売が延期される問題も昨年、起きた。グッズとマークが誤認されれば、いざというときに周囲の助けが得られず、当事者の命に関わるおそれもあった。こうした問題が起きたのは「ヘルプマークを実際に使っている人たちのことを知らないからではないか」と思う。

 田中さんにとってマークは、日常生活を送る中で万が一の事態が起こった時、「自分が病気であることを、誰かが分かってくれるだろうか」といった不安を取り除く、「お守り」のようなものだ。「具体的にどんな人生の中でマークを使い、ヘルプマークを持ちながらどんなことを頑張っているのか。知ってもらいたい」。そう願っている。

田中麻莉絵(たなか・まりえ)さん

 四日市市出身。2012年にウェブ制作会社を起業。18~19年に三重県のヘルプマークアンバサダーも務めた。今後は「病気や障害を抱えながら目標に向かっている人たちが講演などで発信できるよう後押しし、一緒に活動していきたい」。

関連記事