ソーシャルアクションラボ

2023.11.12

ニコルさんが紡いだ大自然 「ファンタジー」は続く

 「子供たちの心から、ファンタジーの世界が消えてしまいそうなの」「夢の世界に入り込んでしまう子供が、減っているような気がします」

 東京と高知で学校の図書館の司書として子供たちに接してきた2人の女性が、同じ懸念を口にした。童話や絵本に興味を示す子供が減少していく現状を憂え「感受性が豊かな子供時代に、想像力を育んでほしい」と本の読み聞かせに取り組んできた2人の実感だ。

 どうやら、映画「ネバーエンディング・ストーリー」(はてしない物語)の世界観は、もはやフィクションではなく現実になっているようだ。

 物語は、いじめから逃れるために古本屋に飛び込んだ少年が、「ネバーエンディング・ストーリー」というタイトルの不思議な本を手にするところから始まる。少年は女王を救う勇士となり、白い竜の背に乗り「ファンタジーの世界」を滅ぼそうとする「無」との闘いに挑む。「無」は「むなしさや絶望にさいなまれた人々の心に芽吹く」とされる――。

 不登校や心に痛みを抱える子供が増え、子育てに携わる親や先生の疲弊感が広がる現代社会に、この物語は重なって見える。

    ◇

 11月上旬の長野県信濃町。夜半から山小屋の屋根をたたき続けていた雨が、明け方に上がった。

 C・W・ニコルさん(享年79)が荒廃した山の再生を手掛けた「アファンの森」は、雨に打たれて落ちたコナラの黄葉のカーペットに覆われていた。森では、こずえを渡る夏鳥は去り、冬ごもりのためにリスやカケスがドングリやクリの実をため込む日々も終了。虫の合唱もやんで「ピン」と張ったような冷気と静けさに包まれていた。

 とはいえ、五感を開放して森に分け入ると、枯れ葉は「カサコソ」という音色を奏でる。雨で潤った倒木からは、キノコが小さな頭をのぞかせて出迎える。

 「耳を澄ませてごらん。生き物や木々のささやきが聞こえるだろ」。森を訪ねた子供たちにニコルさんが伝えてきた思いだ。

 彼は幼い頃にリウマチ熱にかかり、病弱だった。学校ではいじめに遭い、不登校がちとなって、祖母の家に預けられた。近所には、先住民ケルトの伝説が息づく森が広がっていた。

 ある日、家に引きこもりがちなニコル少年に、ケルトの血を引く祖母が言った。「森のナラの大木にハグして、パワーを分けてもらいなさい」

 こわごわ森に通い続けると、いつしか木の方からハグされている感覚に陥り、ぬくもりや鼓動を感じた。そんな少年に、祖母は二つ目の課題を与える。「木のてっぺんに登り、木の息を吸いなさい」

 懸命によじ登って見渡すと、未知の世界が広がり、眼下に森を歩く獣たちや人の姿が見えた。8歳になる頃には、ひとかどの野生児になっていた。

 2015年、ニコルさんと砕氷船で北極圏を旅した際に聞かされた物語も、私の心に刻まれている。

 17歳で北極での極地探検家の道に踏み出し、カナダ政府の技官やエチオピアの自然保護管理官を経て、1980年に信濃町に居を構えた。そして、環境活動や執筆に追われる日々から逃れるように、50歳過ぎから北極通いを再開した。

 2カ月間、イヌイットと狩猟生活を共にして極地でのスキルや勘を取り戻し、銃も食料も持たずに単身カヤックに乗って、ひと月の長旅に出た。食は自然の恵みを分けてもらい、悪天候で停滞を余儀なくされた時は、コンブや野草で糊口(ここう)をしのいだ。

 「心身にこびりついたぜい肉や邪気が、次第にそぎ落とされていくんだよ。すると、鳥や獣たちやクジラが、近づいて来てね。鳴き声や気配で気象や周囲の異変を教えてくれる。あの時、僕は自然と一体化できたんだよ」

 白夜の地で語ってくれた彼は、20年に死去。「マザーツリー」と名付けたアファンの森のコナラの木の根元に置かれた石碑に、遺灰が納められている。

 アファンの森に身を置いて耳を澄ませると、今でもニコルさんの声を感じる。闘病生活を続けた晩年にはこんな言葉も残している。

 「もし元気になったら絵本や児童書を書きたいな。子供たちにファンタジーの世界や大自然の息遣いを知ってもらいたいからね」

 ネバーエンディング・ストーリー。物語は、まだ終わってはいない。【客員編集委員・萩尾信也】

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