ソーシャルアクションラボ

2024.11.27

水を治める 先人たちの決意と熱意、技術に学ぶ 伊能忠敬の実測日本地図が、いま語りかけること 連載61回 緒方英樹

先人が警告する水害地名がある

 古来、水害常襲地として大きな被害を受けたことから、先人たちが残した地名が日本には数多くあります。災害の伝承だけでなく、「油断してはならない」という警告が込められているのです。それらの地名は、川の合流地や低湿地、窪地、傾斜地などに見られます。

 例えば、かつて湿地や氾濫原を表す地名として阿久津、阿蘇、浮間、加茂、仁多、布田、和田などあり、水が溜まりやすい場所を表す地名として、溜池、河内、川内、荻窪など多くあることが国土地理院ホームページなどで指摘されています。

 ところが、市町村合併や土地区画整理などで新しい地名が付けられて、先人が願いを込めて土地の特質を後世に示した地名が消えてしまうことも各所であるようです。

 さて、伊能忠敬と言えば、江戸時代に日本中を歩いて測量、初めて日本地図を作ったことで知られていますが、その伊能図の中に、水害地名が少なからず存在していることが指摘されています。1818年に忠敬没後、伊能図がたどった数奇な運命から「一身にして二生を経た」と言われる忠敬の偉業をたどってみましょう。

1745年、上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)の名主・小関五郎左衛門家で生まれた伊能忠敬

一身にして二生を経る

 忠敬は、千葉県九十九里浜の小関村で裕福な名主の家に生まれました。忠敬が親戚筋の伊能家に婿養子として入ったのは18歳の時でした。成果を示さねば明日は知れない入り婿の忠敬は、米取引で商才を発揮、伊能家の財を倍増させます。やがて村の飢饉(ききん)を助けるほど財を成し、新田を開発し、村の後見役にもなるという見事なサクセスストーリーです。

ところが、50歳の時、忠敬は家業をすべて長男に譲ります。

「暦学を勉強したい」

その志を秘めた忠敬は、高橋至時(よしとき)に天文学を学びます。

 51歳の忠敬が選んだ19歳年下の先生は、幕府の天文方になったばかりの高橋至時。天文・暦学のトップレベルでした。至時は、麻田剛立(ごうりゅう)という天文学者の弟子でした。この麻田という人物、どのくらいすごいかというと、ケプラーが発見した<惑星は楕円の軌道を回っている>法則を、ケプラーと同時代、独学で唱えていた天才でした。その門下で群を抜いた秀才が至時です。幕府は誤りの多い暦を改めるため民間から優秀な人物を登用したいと考えました。

 そこでヘッドハンティングされたのが麻田剛立です。ところが麻田はそれを断り、代わりに推薦したのが高橋至時と間重富でした。この二人が「寛政の改暦」の中心人物です。彼ら天才や秀才にしてみれば、老いて入門してきた忠敬は凡人に過ぎなかったことでしょう。ところが、忠敬の愚直なまでの熱心さは人並み外れていました。

「非凡なる凡人」子午線への夢

 師の教えが凡人に夢を与えました。

 「地球の緯度1度の長さが分かれば、地球の大きさも分かる」という一言に忠敬は動かされます。緯度1度分の距離が分かれば、それを360倍すれば地球の大きさが分かるはずだと言うのです。それは誰も解明していないことでした。なぜなら、千里ほど長く実測しないと正確な数値は出ないため、途方もない労力と資金が要るからでした。至時は、奥州街道から真っ直ぐ蝦夷地に向けて測量する計画を幕府に申請します。こうした師の導きにより、子午線一度の長さを求める忠敬の旅は、日本全土へと延びていったのです。

 物差しは自分の足、二歩で一間(約1.82㍍)、正確な歩幅でひたすら海岸線を歩き続け、喘息持ちの弱体もいつしか元気になって、ふり返れば約4千万歩。黙々と歩いて18年、日本全土を実測した「伊能図」すなわち「大日本沿海輿地(よち)全図」となって結実したのです。

伊能図がたどった数奇な運命

 忠敬没後、完成した地図の写しが持ち出され、高橋至時の子・景保らが処罰されたのがシーボルト事件です。ただし、そのことによって伊能図の精密さが欧州に紹介されたのは皮肉なことでした。

 その半世紀後、伊能図の正本は皇居火災で、副本も関東大震災で焼失します。その伊能大図が伊能忠敬研究会により米議会図書館で206枚発見という朗報が届いたのは2001年のことでした。

 忠敬は文化15(1818)年、地図の完成を待たずに死去しますが、高橋至時の子である高橋景保が仕上げ作業を監督し、文政4(1821)年に「大日本沿海輿地全図」が完成したと言われています。

忠敬の大いなるチャレンジ、そして伊能図がいま語りかけること

 伊能図は、小図・中図・大図の3種類があり、地名、記号や寺社など詳しく描かれた地図もあるということです。

「大日本沿海輿地全図」第90図 武蔵・下総・相模(武蔵・利根川口・東京・小仏・下総・相模・鶴間村)(国立国会図書館デジタルコレクションより)

 江戸期に言われていた人生50年ですが、高齢化社会のいまは人生の折り返し点。しかし、自分を大転換させる第二の滑走路に入ることもできる。そんな勇気を与えてくれたのが伊能忠敬による大いなるチャレンジと言えるでしょう。

 わが国では、過去の自然災害の記録・記憶を探り、地域の歴史や風土を知ることから、防災に対する知恵や工夫を蓄積し、当時の経験や教訓を後世に伝えていく災害文化・防災文化が注目されています。

 国土地理院の古地図コレクションでは、デジタル化された伊能図が閲覧できます。伊能図 | 古地図コレクション(古地図資料閲覧サービス)

 土木学会論文集G Vol78,2022に発表された宇野宏司、吉永朗の両氏による研究によると、伊能図には75種の水害地名が見られるそうです。それらの地名の由来は「低地」に見られる地形的な特徴をとらえたものが多く、伊能図に出現する水害地名(浸水域)も約6割がそのような場所だということです。

 さらに、それら水害地名地点の中には、現在のハザードマップや地名からは想定できない洪水リスクを示唆しうるものも少ないないことが提示されています。

緒方英樹(おがた・ひでき)土木学会土木広報センター土木リテラシー促進グループ 土木史委員会副委員長。著書「大地を拓く」(理工図書)で2022年度土木学会出版文化賞を受賞