ソーシャルアクションラボ

2018.06.08

「心の渇きがいじめにつながる」 いじめる子の心の中で何が起きているのか

「自分にちょうどいいエネルギーが入ったマグカップを持っていると想像してみましょう。誰かを傷つけてしまう時、そのカップが空になっているかもしれません」

 東京都大田区の立正大付属立正中学高校で、コミュニケーションを考える授業をする助産師の有馬祐子さんは、生徒にそう語りかけている。誰かをいじめてしまう時、心の中で何が起きているのか。授業を担当する同中学の養護教諭、泉名真由佳さんと、子供のネットトラブルを調査、分析する専門家で、IT企業「ネットスター」(東京都港区)の宮崎豊久さん、有馬さんの3人に「いじめ」について語り合ってもらった。【ファシリテーター・岡礼子】

強気なリーダーの「受け入れられている」との勘違い。一転していじめの対象にも相手の気持ちは理解できない。想像力が欠けているいじめるのは気持ちが渇いているから。心のエネルギーが減っていないか

授業について語り合う有馬祐子さん(左)、宮崎豊久さん(中央)、泉名真由佳さん。有馬さんと宮崎さんは、日本思春期学会の性教育認定講師でもある

◇学校でありがちないじめの場面とは―― リーダーの「楽しいよね」「行きたいよね」は同意の強要かもしれない

 <泉名さん> クラスの中でも気が強くてリーダー的な生徒が、いじめられる側に回ってしまうことがあるんです。「あの子のこと、本当は嫌だったんだよね」という声がクラス内で大きくなってきて、ある時リーダー的な生徒が少数派になってしまう。強かったはずなのに意外に弱くて、学校に来られなくなってしまったり……。

 <有馬さん> 「リーダーシップを取る自分は、みんなに受け入れられている」。そう思ってしまうんですね。「試験明けは、遊園地に行きたいよね!(私が行きたいんだから、みんなもそうだよね)」などと、自らの意見を押しつけてしまう。言われた側も、クラスの中で強い立場の子に逆らうと、今後の学校生活がつらくなる可能性があるので、本当は気が進まなくても「うん」と言う。

 最初から意図してやっているわけではないでしょうけど、周囲が自分に従うという経験を重ねると「私の意見は絶対だ」「強気に出れば、みんなは言うことを聞く」と勘違いしてしまう。いつも必ず同意が得られる関係は健康的とは言えません。「私は嫌」「ちょっと考えさせて」と言える方がいい。どんなに強気に“プレゼン”しても、通じない人がいるということも知らなければいけないと思います。

◇写真や悪口 送ったLINEはばらまかれる

 <泉名さん> 性的な写真を友達に送ってしまって、トラブルになるケースも男女に限らずあります。多くは友達がウケてくれる、喜んでくれると思ってやってしまうようですが、もらった子は必ずといっていいほど、「こんなの送ってきた」と他の子にばらまきます。LINEのやりとりも同じです。ある子が別の子の悪口を書いてきたら、それをスクショ(スクリーンショット)に撮って、他の子に送ってしまう。

 <宮崎さん> 送られた側が「こんな写真送ってきたらだめだよ」と言って終わりにすればいいのにね。性的な写真などを送ってしまうのは「承認欲求」からだと思います。仲良くなりたいだけなんだけど、人間関係を築く経験があまりにも少なくてやり方が分からないのではないでしょうか。

 昔は、家に電話したり、直接会いに行かなければならなかったり、コミュニケーションはもっと面倒なものだった。意識しなくても段階を踏んで関係を作っていかれた。今は、面倒なことを遠ざけようとしすぎて、そういった経験ができなくなっている。学ぶ機会を設ける必要があります。

◇他人の気持ちを想像できない子供たち

 <有馬さん> 人の心はいろいろです。同じ出来事に遭遇しても感じ方はそれぞれ違う。違いを理解して、相手がどう感じるかを想像しながら言葉を交わせるといいですよね。それを実感してもらいたいと思って「いじわる先生」を演じる授業をしています。

 別の先生に「相手役」をお願いして、授業で使うプリントが足りなかった「ふり」をしてもらうの。「3枚足りないんですけど……」と言う先生に対して、私は「どうすればいいか自分で考えなさいよ。授業を始められないじゃないの」と冷たく返します。生徒がびっくりするくらい、強い口調でやってみて「今の会話は、相手を無視はしていない。でも、見ていて嫌じゃない? どう思う?」と生徒に語りかける。

 「良い例」も見せます。「相手の言葉を受け入れて、返すというのは、こういうことなんだなあ」と分かるように、がらりと調子を変えて「足りなかった? ごめん。今日は隣の人と一緒に見てくれる?」と言うんです。この授業が、どうやら生徒たちの心に響いたようなの。

<泉名さん> 子供たちは想像力を働かせるのが苦手です。大人なら「そんなことを言ったら嫌な気持ちになるに決まっている。言わなくても分かるだろう」と思うようなことでも分からない。高圧的に「分かる」と決めつければ、生徒は表面的に「はいはい」と答えるだけです。

 相手の状況を想像できない。だから「顔には出さなくても、何かつらいことがあったのかもしれない」――などとは考えられません。「あの子、なんか態度悪い」と感じたり「ちょっと嫌なこと言われた」というだけで、「本当に嫌い。もうハブ(仲間はずれ)にしよ」となってしまう。有馬先生の授業で、想像力が大切だと感じてくれたらいいと思っています。

◇大人だって苦労する 必要なのはコミュニケーション

<有馬さん> 私は子供のころ、どちらかというと(いじわるを)仕掛けられる方でした。でも、幸いなことに「嫌なものは嫌だもん」と遠ざかる知恵があったみたい。ピアノを弾くことが大好きだったので、気分転換もできました。

<宮崎さん> 僕はコミュニケーションが苦手でした。人と話すことはできても、話した後で関係が崩れてしまうことがあって……。そんな悩みは誰にも話せなくて、抱え込んでいましたね。よく、自慢話をする子が嫌われると聞きますが、コミュニケーションの方法を知らないだけだと思います。

<有馬さん> 誘われた際の「断り方」を考える授業もしましたね。「今回は行けないけど、また誘ってね」「その日はだめだけど、別の日はどう?」など、生徒からもアイデアが出ました。

<泉名さん> 「断った時に不安なことは何か」と生徒に書いてもらったら「次にまた誘ってもらえるか」「ハブ(仲間はずれ)にされるのではないか」を挙げた生徒が多かったです。

<有馬さん> グループで話し合う中で、みんなが同じことを気にしていると分かったのは良かったですね。誰にでも都合はあるのですから、誘いを断っても、永遠にハブかれるわけではない。大人も、思いがけない事情で、約束を断らざるを得ないことはある。うまく断れずに戸惑うのは情けないことではありません。それを生徒たちに伝えたい。

<宮崎さん> 人付き合いは、楽なことばかりではありません。例えば「絆(きずな)」という文字は、「絆し(ほだし)」とも読めて、「人の心や行動の自由を縛る」という意味です。人間関係の両面性を表していると思いませんか。面倒に思ったり、縛られて嫌だったりしても、避けずに乗り切ることが、人との関係性をつくるチャンスだとも言えますね。

◇相談できない子供たち―― 「迷惑をかけたくない」は大人の失敗

<泉名さん> 親に迷惑をかけたくない、心配かけたくないという子もいますし、言っても意味がないと諦める子もいます。昔と違って、時間に関係なく親と学校が連絡を取れてしまうので、親に話したことで、それが学校にどのように伝わるか、自分の意図しない伝わり方になるのではないかとおびえていることもあると思います。大人に言いつけたことがばれたら、もっといじめられるかもしれないので……。

<宮崎さん> ネットのトラブルに関して、子供たちの相談をメールで受けていた時、最初の一言が「親に迷惑をかけたくないから……」で始まることは多かった。僕はそう言われたら、親が子供とのコンタクトに失敗したんだなと考えます。最初は助けを求めると思うのです。その時、軽い調子でも「そんなことが分からないの?」などと言われたら、次は聞きにくいでしょう。助けを求めるのは恥ずかしいことだと感じたり、迷惑なのだと思ったりしてしまうかもしれない。

<有馬さん> 誰かに助けを求めることは、情けないことでも恥ずかしいことでもありません。でも「他人に迷惑をかけてはいけない」という思いに縛られすぎると、怖くて何も言えなくなってしまうでしょうね。

◇いじめの始まりとは―― 自分より楽しそうな子が許せない

<有馬さん> 自らと違う存在を受け入れられない時が、いじめのスタートだと思います。誰かを標的にして、攻撃を仕掛けずにはいられない。そんな心の状態を説明するのに使う教材があります。

有馬さん作成のプリント教材。カッコ内には「ちょうどいい」が入る

 「心のマグカップ」があると想像してみてください。誰にでも、その人にちょうどいいエネルギーの量がある。つらいことがあると、カップのエネルギーが減って心が渇く。楽しいことがあったり、よく眠ったりすれば、エネルギーがちょっと増える。そんなイメージです。

 自分のカップの中身が少ない時、今にもあふれそうにチャプチャプしている人を見たら蹴飛ばしたくなるでしょう。「私はこんなにつらいのに、あいつは毎日楽しそうだ」と妬むからです。蹴飛ばして「何するんだよ!」と言われるのを待っているのかもしれないし、こぼれた分が自分のカップに入ると期待しているのかもしれない。いずれにしても「心の渇き」がいじめにつながっていると感じています。

<宮崎さん> 相手を困らせると、自分が少し落ち着く気がするんでしょう。そう感じてしまったら、いじめを止めることはできない。子供たちが属するコミュニティーはほとんど学校だけです。ストレスを発散する手段が少ないんですよ。

<有馬さん> カップの中身が減る原因があるはずです。人と楽しさを分かち合えない時、自分ではいじめている自覚がなくても、相手につらくあたっているかもしれません。どんな時も相手の心情を想像することが大事です。

◇「給湯室トーク」も捨てたもんじゃない

<宮崎さん> 保護者向けセミナーで子供についての悩みを聞いて、どのようにアドバイスすべきか考えあぐねていたことがあります。でもある時、保護者同士が「大変だよね」「うちもうちも」と話し始め、それで保護者が癒やされていることに気づきました。相手の気持ちを理解して共感することなのです。これができれば、結果的にいじめる必要がなくなると思いました。いわゆる「給湯室トーク」ですね。実は、自死する子供の割合は、女子より男子が高い。女子は誰かに話すことで癒やされると直感的に分かっているのかもしれませんね。

 予防医学や公衆衛生の考え方に、ハイリスクアプローチ(疾病発症リスクの高い人に働きかけること)とポピュレーションアプローチ(集団全体に働きかけてリスクを軽減すること)があります。現在の学校のいじめ対策の多くは、ハイリスクアプローチです。当事者を見つけてケアしようとしている。この方法では「いじめの定義に該当するかしないか」「指導が必要か否か」と線を引かなければなりません。そうではなく、全員が普段から、対人関係の衝突が起きた時の対処の経験を積むことが必要だと思います。

<有馬さん> 「でんでんむしのかなしみ」(作・新美南吉、大日本図書)という絵本があって、私はこれをヒントに、マグカップの教材を考えました。でんでんむしが、ある日、自分の殻に「悲しみ」が詰まっていることに気づいて悩むのですが、ほかのでんでんむしに聞いて歩いた結果、みんな同じと分かって、悩むのをやめた話です。一匹で悩んで池に飛び込んでしまったりせずに、ほかのでんでんむしに聞くところが大事なのです。

 「あなたがたはいろいろなことで悩み、迷う。それは人の気持ちを思いやるようになったから。成長のあかしです」。そう生徒たちに伝えていきたいですね。

追記 「物の感じ方が他の子と違う子が、コミュニケーションを考える授業の『落ちこぼれ』になりかねない」とのコメントを受けて、有馬祐子さんより

 立正中学での授業は「一緒に考えてみましょう」というスタンスで、成績がつくものではありません。生徒の中に、想像力を働かせることが苦手な特性の人たちがいることは想定しています。例えば(1)「ダメ」と言われない限り、自分は受け入れられていると思い込む(2)見えない、触れないものは全くわからない――など。

 生徒には、「大人にも、コミュニケーションが苦手な人はいます。失敗しながら、誰かの助けを借りながら、少しずつ失敗が減っていくといいですね」「『コミュニケーションはこうするといい』ではなく、コミュニケーションが取れていないケースは世の中にはたくさんある。それに気づかず、うまくいっていると思ってしまう時があるので難しい。どうしたらトラブルが減るか考えてみましょう」と語りかけます。

 集団内のコミュニケーション能力が全体的に上がれば、コミュニケーションが苦手な人も、大きなトラブルを起こさずにすむのではないかと思います。