ソーシャルアクションラボ

2018.07.11

ある教師の実践(後編) 子ども集団の相互信頼を土台に

(登場人物は仮名、写真はイメージです)

◇修学旅行「雄太をなんとしても参加させようぜ」

 3年の修学旅行。雄太の母親が費用の工面で学校に相談に来た。本人は「俺は行かねえ」と言っていた。しかし、自治体の福祉制度でなんとか行けることとなった。青木の目には雄太が母親と学校に来た姿が焼き付いている。ひどく年老いてやつれた母親の手を雄太がいたわるように引いている。交通事故で視力がほとんどないという。夕食は雄太がほとんど作っているそうだ。

 修学旅行で雄太と同じ班になったのは俊治だった。身長180㌢超、体重約100㌔。キレやすく乱暴な言動でたびたび周りに迷惑をかけている生徒だが、文化祭などの行事では率先してリーダー役を買って出ていた。修学旅行実行副委員長である俊治は、仲間たちと雄太のことを話し合っていた。「雄太をなんとしても参加させようぜ」「絶対にキレさせないようにしようぜ」

 雄太の参加が決まった後も、雄太と持ち物や行動スケジュールの確認をしたり、「キレないようにしような」と約束したりした。

 修学旅行初日、雄太は落ち着いて日程をこなしていた。2日目、旅館の障子に複数穴があいていた。俊治は男子をロビーに集め、強い口調で言った。「誰がやった?」「先生たちに迷惑かけたくないんだよ」

 青木が後で聞いたところ、俊治は雄太がやったことを知っていて、けん制球を投げたようだ。帰りの新幹線、トランプで遊ぶ雄太の笑顔があった。「先生、雄太いい笑顔してんじゃん」と言う俊治に、「ありがとう。君たちのおかげだよ」と青木は礼を伝えた。この時から、雄太と俊治は仲良くなった。

◇警察に補導された雄太

 修学旅行の後、雄太が警察に連れていかれた。体育の授業に遅れてきた雄太を教師が注意したところ、教師を殴ったという。青木がこのことを知る前に、学校は警察に通報した。「納得できない」と青木に抗議に来た俊治に、青木は話した。「彼は生まれてから14年間、想像できないくらいつらい目にあってきている。誰も信用できない。自分は愛されていない。自分はどうなったっていい……と思い続けてきたのだろう。彼と関係が深くない大人が強く出ると、体が拒否するんじゃないか、自分を守るために。それが暴力になってしまう。でも、彼が卒業して、自分を理解してくれない人にいちいち暴力を振るったらそれこそ犯罪者だ。誰も助けられない。彼にはつらい試練だけど、課題を乗り越える良い機会だって先生は考えるようにしたんだ」

◇「中学時代には良い思い出を作るように」

 俊治が同級生と“決闘”するとの情報が入ってきたのはその年の冬だった。青木は青木部屋に俊治を呼び出し、やめるよう説得した。後で分かったことだが、雄太も俊治を止めていた。「1週間様子を見て決めてもいいんじゃないか」と提案した。我慢できずに同級生を挑発した俊治を「あっちに行こうぜ」と引っ張ってその場を離れさせた。

 俊治は「やばいとは思っていたけど、そうしないと気が収まらなかった。我慢するとすごく頭が痛くなったし、イライラしてあいつを見ただけで殴りたくなった。高校なんてどうなってもいいと覚悟決めていた」と振り返り、「雄太のおかげだ」と話した。青木は雄太の成長がうれしかった。

 卒業式。「卒業生退場」。私と担任が彼らの前に立った瞬間だった。俊治が「こんな俺たちを最後まで面倒をみてくれてありがとうございます!」と叫んだ。雄太も神妙な表情で無事、卒業証書を受け取ることができた。

 雄太は定時制高校に進んだが、中退し、運送業で働いている。卒業後、雄太と久しぶりに会った青木は「今の中学生に伝えたいこと」を聞いてみたことがある。雄太は「漢字の読み書きがきちんとできるように」と答えた。仕事で漢字が読めず、同僚にバカにされるのがよほど悔しいらしい。それからもう一つ付け加えた。「中学時代には良い思い出を作るように」

◇子ども集団

 この実践記録は、教師たちによる民間の研究団体「全国生活指導研究協議会(全生研)」で約10年前に発表されたものだ。全生研は全国に支部があり、各地で会員が実践記録を持ち寄り、分析し、教師としての力量を高めようとしている。「生徒指導」ではなく、「生活指導」と呼び、子どもの集団の指導を重視する。スクールカーストが問題視されているが、子どもの集団を権力関係ではなく、「対等・平等な民主的な共生関係」となるよう育み、そうして生まれた子ども集団の中の相互信頼こそが子どもたちの課題を解決する土台となると考えている。

 「力量のある教師にしかできない実践では?」との記者の質問に、青木先生は首を振った。「原則は一つだけ。子どもの話をまず無条件に聞く。話を聞くには一緒にいないといけない。一緒にいるには時間を作らないといけない。実践記録を見ると、順調にうまくいっているように読めるかもしれないけれど、3年間は毎日失敗だらけ。当時は私もだいぶやせました」。そう言って青木先生は笑った。

【記者から】

 この記事は、実践記録に、青木先生から取材した内容を併せて書きました。私は大学院で教育学を学んでいました。その中で、教師が悩みながら行った実践記録は多々読んできましたし、研究室などで分析し、学んできました。そのため、こういった実践を珍しいとは思っていません。

 記者になって、教育の記事を書くようになりましたが、実践記録をほぼ丸写ししたような記事はこれまで書いたことも見たこともありません。紙の新聞では、細かい指導内容の記事は求められていないと私が思っていたのかもしれません。

 今回、この記事を書こうと思ったのは、どんなに記事で、「いじめた生徒を呼び出して一緒に考えた」「学年集会でいじめられた子の思いを訴え、全員で考えさせた」と書いても、それでいじめがなくなるとは誰も信じないだろうな、と思ったからです。

 青木先生は指導力のある素晴らしい先生なんだな、と感じます。しかし、青木先生の言われるように、教師の力だけでは半分も足りないのだと思います。「嫌なやつ」と思っていた雄太に周りの子が「関わろう」と思ったところから、少しずつ雄太も子ども集団も変わりだしたのだと思います。皆さんは青木先生の実践をどう読まれましたか?

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