ソーシャルアクションラボ

2018.08.23

芥川賞作家・諏訪哲史が語る① 壮絶いじめ体験

 子どもが深刻ないじめに遭っているのに、保護者が「知らなかった」「気づかなかった」というケースが多々ある。なぜそんなことが起こるのか。中学時代に深刻ないじめに遭った作家の諏訪哲史(すわ・てつし)さん(48)に、いじめに遭うとはどういうことなのか当事者の心情を聞き、社会全体で関わるいじめの発見と対処法を提案してもらった。【聞き手・中村美奈子】

  • 中学生のカーストの上下関係は1、2年でできる
  • いじめの渦中でも静かにリセットしてくれる人を待っている
  • 家庭内のコミュニケーションは最強のセーフティーネット

すわ・てつし 1969年、名古屋市生まれ。2007年、「アサッテの人」で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。小説に「りすん」「ロンバルディア遠景」「岩塩の女王」、エッセー集に「うたかたの日々」など。近著に「紋章と時間 諏訪哲史文学芸術論集」。名古屋市在住。

◇本を読むのは目障り


 今から三十数年前、名古屋市内の公立中学2年の時、いじめを受けました。中学2年というのは鬼門。先生も生徒も学校に慣れてしまって、クラスが中だるみの無法地帯になりやすく、教師が子どもの反抗を恐れているのが分かってくる時期です。当時は1クラスに生徒が約50人いて、1学年は500人近くいた記憶があります。

 中学1年の時にもいじめはありましたが、はっきりした力関係のカースト制はなく、まだ逃げられました。僕らの頃は中学時代が一番未成熟でした。私立中学に行かない限り、どこの家の子も一緒の学校に行き、逃げられない。簡単にいじめといじめられの関係ができてしまいます。

 ぼくは気に障る人間だったのかもしれません。幼稚園の年長から小学5年まで仙台市にいて、生まれ故郷の名古屋に戻ってきたのですが、宮城なまりで話していました。民俗学でいう異人(外国人)になっていました。ぼくは吃音(きつおん)があるのですが、どもってその上なまってるやつが転校してきたぞと、小学校でもいじめがありました。気に入らないから話さない、仲間に入れないという牧歌的なものでしたが、当時はつらかった。

 中学生になってからはどもっていましたが、名古屋の方言は話せていました。不良たちは、ぼくが本ばっかり読んでいるのが気に入らない。SFやコナン・ドイルなのですが、不良に言わせると本を読んでいるやつは目障り。うさばらしの標的にされたのです。

◇いじめはジャブから始まる


 学校でのカースト制の上下関係は中学1、2年でできてきます。いじめはいきなりは起こりません。中2は遠足や写生大会など校内行事が多く、クラスメートがどんな人間か、長所も短所も分かってしまう。いじめる人間は、標的を誰にすればばれないか、ジャブを全員に試します。「こいつはここまでやっても大丈夫だ」というふうに。

 ぼくには大丈夫だと思ったのでしょう。親にもらったシャープペンシルを「貸してくれ」と言われて貸したら、そのシャーペンで机の上を彫り始めて、机に穴をあけようとする。ペン先がだめになり、やがてボキッと折れたのです。親の思いが込められた大切なシャーペンでしたが、仕返しがこわくて黙っていました。もし文句を言ったら、指を折られるか、かばんを川に投げられるか、学生服を切り裂かれるかされると、分かっていたからです。

 不良たちは原付きバイクで学校の廊下を走ったり、消火栓のホースを引っ張ってきて廊下を水浸しにしたり。毎日のように警察に連れて行かれて、もはや学校でどう評価されようがこわくないのでやりたい放題でした。先生につばを吐いて殴りかかっていました。先生が板書していると水風船を投げて文字を消す。先生は「誰だっ」とは言いますが、誰とはつきとめないで授業を進める。「先生はつきとめないのか」と見ると、いじめがクラスを支配する「いじめの王国」ができていきます。いじめの王国は、生徒だけではなく先生も一員で、何もしない先生は王国で傍観者の役割を演じているのです。

◇組織として成立するいじめ


 不良たちは家で弁当を作ってもらえないので、体育の時間など教室が無人の時を見計らって、クラスの子の弁当から、うまそうなおかずだけ次々と取っていきます。ぼくの弁当からは一番楽しみにしているエビフライが取り上げられました。休み時間にはプラスチック製のバットで殴られました。掃除時間には「プロレスごっこ」をやり始めます。教室の後方に机を下げてできた空間をリングに見立てて、ほうきでぼくをたたく。投げ出されて教室の壁にぶつかるのですが、リングのロープにはね返されたまねをするのがいやでした。不良たちは片腕を水平方向に伸ばして、ぼくの首もとや胸にたたきつける。ラリアットというプロレス技です。転んで顔を踏まれている時に、不良に向かって「おー、勝った-」「強いねー」と、仲のよかった子や好きだった女の子が拍手喝采する。毎日3、4人がやられていました。いじめがクラスの中で組織として成り立っていたのです。

 一番ひどいいじめを受けていた子は男子で、毎日不良全員のかばんを持たされて全員の家に届けさせられ、不良をおんぶして乗り物がわりに走らされ、自分の家に上がり込まれてその子の茶わんに排便を命じられ、それを食べさせられていた。昔はセーフティーネットがなかったから、不良のやることには歯止めがなく、いじめの標的は人間扱いされませんでした。

◇「いじめは人生を台無しにする」


 ぼくは2番目くらいにいじめられていましたが、親に言えない子の気持ちが分かります。恥ずかしい。自分がいじめられている人間なんだ、と知られるのが恥ずかしい。小学1年から剣道をやっていて体も大きかったので、あらがえばあらがえたでしょうが、暴力をふるいたくなかった。不良たちは気持ちの弱いやつだと見なして、「こいつは反抗してこない。先生にも密告しない。親にも言わない」と狙ってくる。いじめてみた時に刃向かってこなかったら、いじめの程度を上げていき、馴致(じゅんち)させていく。自分たちの制圧下に置いて飼育していくのです。

 9月に自殺する子は親にも言わない子だと思います。親に失望されるのがいや。いじめられっ子であることが恥なんです。家庭という聖域にいじめを持ち込んで、「まさか殴られるなんて」と母親を泣かせてはいけない。親に悲しい思いをさせたくない。元気に学校に行っているという幻想を壊したくない。いじめは自分の人生のノートを汚される、台無しにされることなのです。ぼくにとっては相談も恥で、同じ中学に通っている一つ年下の弟にも話せませんでした。

<ご意見ください>どうしたら子どもが打ち明けるのか


 先生は子どもの言語を解読できません。子どもだけはこれは集団によるリンチなんだと分かる。自分から「いじめられている」と言うのはいやなんです。誰かが「君、なんかあるんだろう、言ってみろ」と言ってくれるのを待っているんですよ、秘密の救世主が現れるのを。この日々を終わらせてほしい。誰かに察してほしいという気持ちがあります。

 子どもは大人よりも空気を読む。大ごとにしたくない。何事もなく、静かに静かにリセットしてくれる人を待っています。親がどう出るかも読む。ほどほどにうまいやり方でやってくれないかなと思っているのです。

◇親の対人関係能力が問われる


 決め手は親のコミュニケーション能力ですよね。親自身が社会的ないじめられっ子だったら到底対処はできない。お母さんが何かしてくれる雰囲気を出していないと、子どもは絶望するでしょう。家の中のコミュニケーションは最強のセーフティーネットです。

 ぼくの場合、中学2年のゴールデンウイーク明けからいじめが始まり、1学期からずっと死にたいと思っていました。夏休みが終わって9月に学校に行くのがいやでいやで、いじめがひどかった10月から11月にかけて、一番行きたくなかった。矛盾していますが、気づいてくれと願いながら、その一方では何事もなかったかのように普通の中2を演じていました。恥を悟られないように、家では平静を装って暮らしていたのです。

 一番死にたいと思った時、うちの母親があまりにぼくの様子がおかしいので、「言いなさい」と言葉をかけてきて、ぼく、泣けてきちゃって……。「本当に恥ずかしいけれども、こんな大きな体して、いじめに遭ってるんだよ」と初めて口に出しました。弟のいないところで母親に言いましたが、弟が察してばれて、びっくりしていました。父親は母親から報告を受けてものすごく怒っていた。学校への対応は母親に一任していました。母親は英語塾の教師をしていてちょっと変わった人間だったので、いじめの加害者の家に行って来たんじゃないかと推察しています。いじめに遭っていることを「(担任の)先生には言った」と話してくれました。母親がどのように動いたのか、今もうちではこの話はしないのでわかりませんが、保護者会で話をしてくれたんじゃないかと思います。1カ月くらい、ぼくに対してはいじめがなくなり、静かな日々になりました。3学期にぶり返しましたが、いじめが収まった日々がなければ死んでいたかもしれません。学校との交渉を期待できる親だったらいいが、何もしてくれない、言ってもどうしようもなさそうな親だったら、何も言わずに死を選ぶ子どもがいてもおかしくないでしょう。

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