ソーシャルアクションラボ

2018.08.23

「いじめる子にやさしくする」NPOジェントルハートプロジェクト 小森美登里さん

 被害者に深い傷を負わせる「いじめ」をなくす方法はないのだろうか。NPO法人「ジェントルハートプロジェクト」(事務局・川崎市)の小森美登里理事(61)は、「加害行為を止めるためには、いじめる子にやさしくすることが出発点」と断言する。小森さんの一人娘、香澄さんは高校1年の夏、いじめを苦にして命を絶った。それから20年、小森さんが全国の学校で、生徒や教員向けにした講演は約1400回に及ぶ。2013年にはいじめ防止対策推進法も施行されたが、「状況は変わっていない」と嘆く小森さんに、考えられる対策を聞いた。【聞き手・岡礼子】

  • 加害行為を止めることが最重要。いじめる子は相当傷ついている。
  • 教員がやってはいけないNGシリーズとは。
  • 子どもを死に追いやることもある「いじめ」。言葉が軽すぎないか。

こもり・みどり 1957年生まれ。98年、一人娘の香澄さんをいじめで亡くし、2003年、夫の新一郎さんとNPO法人「ジェントルハートプロジェクト」を川崎市川崎区に設立した。著書に「いじめのない教室をつくろう――600校の先生と23万人の子どもが教えてくれた解決策」(WAVE出版)ほか。

◇大人への相談は不安

--子どもがいじめに遭っていることに、親が気づかないケースがあると聞きます。どのような兆しがありましたか。


小森 高校に入学してまもなく、何かおかしいと感じました。香澄は、吹奏楽部に入りたくて高校を選んで、ようやく夢がかなったところだったんです。「お弁当箱、大きいのにしてね」と言って、喜んで朝練に通い始めたのに、翌週には朝、行くのをためらうみたいに玄関先で座り込むようになって……。どう考えても、学校で何かあったと思うじゃないですか。

 ただ、みんなが同じようになるわけではありません。何事もないかのように時間通りに学校に行って、一日中つらい思いをしても顔に出さずに、普通に過ごす子もいます。状況はそれぞれ違いますし、いじめる相手が同じクラスにいるのか、部活にいるのかにもよりますよね。香澄の場合は、クラスも部活も同じ生徒だったので、相当な重圧だったと思います。隠し切れなかったのでしょうね。


--子どもたちは、なかなか大人に相談したがらないという話も聞きます。


小森 子どもが大人になった後で、「お母さん、昔、私がいじめられていたの知らなかったでしょ?」と聞かれるケースもあるようです。子どもたちは、悩みが深いほど、親子の関係が良いほど、「心配をかけたくない」「問題を持ち込みたくない」と考えます。家庭を、安全で居心地が良い場所として取っておきたいという心理も働くと思います。 

 とはいえ、もし「相談すれば必ず解決してくれる」という安心感が子どもにあったら、相談しようとするのではないでしょうか。NPOの活動をする中で分かってきたのは、大人に相談することに対して、子どもたちが大きな不安を抱えていることです。

◇さりげなく解決する方法を大人は持っていない

--相談すると、状況が悪くなると恐れるからですか。


小森 子どもたちは、さりげなく解決してほしいんですよ。でも、先生に言うと大ごとにされてしまうのではないかと不安を抱いている。私が講演先などで会った多くの子どもたちが、相談できないと言いました。さりげなく解決する方法を、大人は持っていないですよね。


 例えば、加害者と被害者を呼んで、「無視したのか?」「されたのか?」と直接的に問い詰めたりする。これ、先生が絶対にやってはいけないことですよ。被害者側の子は、その後が怖いから、つい「私は大丈夫です」と言ってしまうことがある。すると先生は、「本人が大丈夫だと言った」ということを、対応しなかった理由にするんですよね。


 加害者に対しても、目に見えた行為だけを挙げて「自分がされたら嫌だろう。謝れ」なんて言うことが、心からの反省を促す指導になるでしょうか。その子自身、何か苦しみを抱えていて、ストレスのはけ口として、いじめたのかもしれない。原因になったストレスを緩和しなければ、いじめ行為は止まりません。


 なぜ、いじめたのか。加害者の背景を理解して「つらかったね」と寄り添うことが対策のスタートです。加害者が、だれかに自分のつらさを打ち明けられるようになって初めて、「自分は友達を苦しめていたんだ」と気づくことができる。今の指導は、加害者に働きかける部分がすっぽり抜けています。


 被害者が望むのは、いじめ行為が止まることです。それは加害者が変わらなければできないことなのに、そのための対策は何一つしていない。いじめ対応イコール被害者対応になってしまっている。


 実は、私もそうだったの。香澄が苦しんでいた時、私が言ったのは「転校しよう」「部活やめたら」「学校休もうよ」って、そんなことばかり。全部、被害者対応だったんですよね。いじめで不登校になったある生徒にフリースクールを勧めてしまったこともあって、「どうして自分が学校に行けなくなるのか」と猛烈に怒られたこともあります。


 もちろん、心の傷を深めないように、少し距離を置いた方がいい時はありますよ。それなら、被害者が休んでいる間、学校をその子が安心して戻れる場所にしなければいけませんよね。

◇いじめ対応スキル 教員に研修を

--「先生がしてはいけないこと」は、ほかにもありますか。


小森 教員研修を頼まれることが増えて、私の話を聞いてくれた先生方がそれぞれの学校に持ち帰れるようにリーフレットを作ったんです。そこにしてはいけないこととして書いたのは、(1)行為そのものを直接注意すること――と並べて、(2)けんか両成敗(3)ディベート(4)被害者を人前で心配したり、なぐさめたり、ほめたりする――の計四つです。大人がやってしまいがちでしょう。「全部やっていました」と打ち明けてくれた先生もいます。四つ目なんて、いじめられている子を心配して、守ろうと思ってすることですが、気をつけないと、どこで加害者が見ているかわかりません。先生にやさしくしてほしいと心の底から望んでいるのは、加害者自身です。自分が求めていることだから、嫉妬心が生まれる。いじめがエスカレートしてしまう危険があります。


 加害者はそもそも相当傷ついている子が多い。そう考えて間違いないと私はみています。親から愛情を受けていなかったり、虐待を受けていたりすることもあると思う。ほかの場所で、いじめられる側になっているかもしれない。何かストレスの要因があるはずです。愛情いっぱいに育った子が、誰かを傷つけずにはいられない――ということはないと思うから。


--クラスでいじめが起きたら、教員は気づくでしょうか。


小森  「分からないはずがない」と、複数の先生から聞いています。周囲の生徒も気づくので、担任の先生に報告していることも多いそうです。それなのに、多くの先生が間違った対応をしている。子どものサインを受け取っても動き方を知らないからです。


 先生たちは、良いことは良い、悪いことは悪いと、線を引けばいいと思っているみたいですね。「子どもたちは、自分の行為がいじめだとは思っていないですよね」「悪気があるわけじゃないんですよ」などと言う先生も多いです。こんなことを言われたら、被害者はさらに傷つきます。されている側は、相手が意図的だと分かるものです。ほとんどの子は、自分の行為がいじめだと分かってやっていますよ。それで相手が傷ついているのも分かっている。


 いじめる子たちのなかには、「いじめなんかしてない」と言い張る子もいます。また、いじめを認めたとしても「あの子だって悪い」と正当化しようとする子もいる。どちらも自分自身を守るためでしょうね。何の働きかけもなしに、いきなり心の底から反省する子はなかなかいないと思いますよ。


--教員がいじめの対応について学ぶ必要があるのですね。


小森 先生がいじめ対応スキルを身につけて、家庭と情報共有すれば、守れる命はある。まずは教員研修が大切です。ほかの生徒たちに何ができるか提案することも、スキルがあればできますよね。大ごとにしないことが前提ですが、「いじめてしまう子に対して、みんなはどんなことができる?」と話し合うのもいいと思います。「Aさんがいじめられています。ホームルームで話し合いましょう」はだめですよ。そんなことされたら、いたたまれないでしょう?


 先生同士で、自分が経験した先生との関わりを話し合うワークショップをしてもらうこともあります。こんな先生にムカついたという話でいいの。子どものころ、自分が大人に何を望んで、何に傷ついたかを思い出すと今、先生としてやっていいこと、いけないことが見えてくる。簡単でしょう? でも、大切なことです。

◇いじめは大人の問題

--スクールカウンセラーの配置も始まっていますが、加害者の相談を受けられるといいですね。


小森 そこも大人の働きかけが必要です。いじめている子には、「何かつらいことはない? いつでもおいで」と語りかけてください。いじめについて話しかけるのではなくて。


 カウンセラーの方々にも、学校に配置される前に、いじめについてもっと勉強してほしいです。今はいじめられた子の相談役ではあっても、いじめをなくす手立ては持っていない。いじめの勉強をしたカウンセラーが増えれば、各学校にある「いじめ防止対策のための組織」と連携して、いじめ対応スキルを身につけた先生を増やすことができます。


--「加害者対策が必要だ」と小森さんが気づいたのはいつでしょうか。


小森 不思議なことに、香澄が亡くなった後、かなり早い段階から、いじめ問題は加害者の問題だと思っていました。いじめた同級生の育った環境が分かってきて、その子たちを育てた親への怒りが大きかった。子どもが、人を死なせるまでの加害行為をするなんて……。裁判で、子育ての責任を追及したいくらいの思いでした。


 いじめは子どもの間で起きますが、大人の問題です。大人が認識を変えなければいけないの。「いじめくらいで死ぬのは弱い人間だ」なんて言っていたらだめなんです。被害者の責任を探すようなことをしても、解決の手立てにはなりません。子どもは大人に殺されているんだと思う。


 子どもたちに話す時は、「やられたらやり返すという解決策は正しいだろうか」と問いかけます。やり返すと、さらに報復があって、トラブルがあっという間に大きくなる。学級崩壊になることもあります。そうなると、元の教室に戻すことが非常に難しい。そう話すと先生も子どもたちも腑(ふ)に落ちて、「やり返さない学校にしよう」という機運が生まれるんです。


 でも、親たちはなかなか参加してくれないので、講演を聴いていない親が「やられたら、やり返すくらいの強さが必要だ」なんて、子どもに教えてしまうと、子どもが苦しむことになる。学校と家庭の方向性を統一できないことも、問題解決を遅らせていると思います。

◇意図せず傷つけたら、まず「ごめんね」を

--親、教員以外の大人も、何かできることがありますか。


小森 加害者を見つけたら、やさしくすること。それしかないと思う。加害者の話を聞いて、「つらかったね」と言えるくらいの関係になれたらいい。家庭の中はなかなか変わりません。ネグレクト(育児放棄)するような親が、急に愛情いっぱいで子どもに接するようにはならない。だから、自分を気にかけてくれる友達や先生、大人の知り合いがいれば、加害者にとって救いになるかもしれないのです。


 一方で、意図せず人を傷つけてしまうことが、誰にでもあります。そんな時、「あなたの方が悪い」「注意しようと思った」などと言わず、まず「ごめんね。傷つけるつもりじゃなかった」と、謝ることから始めましょう。それを大人も子どもも確認しあえたら、解決の糸口がきっと広がります。


 いじめは、子どもを死へと追い詰めることもある行為です。心を壊されて、人を信じられなくなってしまうかもしれない。考える力も、生きる気力も奪われてしまうかもしれない。このことを、誰もがまず認識してほしい。最近は、グループの中で誰かの外見や言葉遣いなどをあげつらって嘲笑の対象にする「いじり」とも言われていますが、言葉が軽すぎて、重大な問題ととらえられていません。


 いじめが被害者の命にかかわる深刻な問題だときちんととらえるためには、「いじめ」と呼ぶのをやめ、「校内虐待」ととらえた方がいいのではないかと考えています。加害者の問題であること、連鎖することも、いわゆる虐待と同じです。いじめは無くならないと思っていたらだめなんです。減らすことはできる、いつか無くせると信じて向き合いたい。

【ご意見ください】いじめは「学校虐待」と呼ぼう

 現行の「児童虐待防止法」で、児童虐待は保護者の行為を指すと定義されています。つまり児童虐待は、親子の間で起こることだと考えられているわけです。いじめは児童、生徒の間で起きますが、暴行、わいせつ、心理的外傷を与える言動など、虐待とされる行為と重なる部分が多いのです。いじめを「学校虐待」と呼ぶことをどう考えますか。

記者が厳選 「いじめを哲学するアーカイブ」

そもそも「いじめ」って何なのでしょう?さまざまな観点から「いじめ」について考えてみませんか?

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