ソーシャルアクションラボ

2023.08.09

安心すれば、子どもは自らはなれていく。|せんさいなぼくは、小学生になれないの?㉗

㉗2022年5月20日

むすこが、親から離れられない状態がつづいている。

学校に行かなくなって以降、抱っこをしなければ外出できず、明らかに幼児退行している。この状態を「母子分離不安」と呼ぶらしい。

きょうは、幼なじみの家でむすこを少し預かってもらった。幼なじみは幼稚園に通っていて、そのお母さんと弟といっしょに午前中は家の中で過ごした。そのときはいつもと変わらない様子だったそうなのだが、午後、幼稚園帰りの幼なじみと公園で会ったときは様子が一変。お昼に一度帰宅し、また午後に公園で一緒に過ごしてもらう予定だったのだが、ぼくからまったくはなれようとせず、公園のベンチで、ひざのうえにずっと座っている。

幼なじみと会うのが、数ヶ月ぶり、と久しぶりだったせいだろうか。

あるいは、幼なじみの同級生が公園にたくさんいたので、気後れしたのかもしれない。お互いに様子見を続けて、15分以上しゃべらない。

この状態の引き金は、「入学式の恐怖」からはじまる、学校への恐怖と不安感だ。

当時は対応の仕方がわからなかった。相談した担任もまた適切な対応の仕方を知らなかった。ぼくはその後、不登校やHSC(ひといちばい敏感な子)関係のさまざまな資料にあたり、専門家にも話を聞き、「不安を解消してあげることが大事」と学んだ。でも、当時はむすこを無理やり学校に置き去りにしてしまった。

1週間ほどの出来事だったが、傷ついた幼い心はそう簡単には癒えない。どれだけ不安な気持ちだったかと思うと、ひたすら申し訳なく思う。

***

ひざの上には、小学1年生になり、だいぶ大きくなったむすこがいる。3月までの自分だったら、「恥ずかしいからやめなさい」と、むすこをひざからおろしていただろう。30分ほど経っただろうか。幼なじみの同級生たちが、習い事に行くのか、パラパラと帰っていった。

思うがままに抱っこしてあげていたら、むすこは急に「行ってくる!」といった。自ら駆け出していく。そして、何事もなかったかのように、幼なじみと公園の遊具であそびはじめる。 なるほど、「安心」とは、こういうことか〜、と少し感心した。安心できるまで、むすこはひたすら状況をじっと観察していたのだ。自分たちになかったのは、そのときを待つ心のゆとりだ。安心すれば、子どもは自らはなれていく。

むすこの心がもとに戻るまで、どのくらいかかるかわからない。短くても半年、と書いてあるネット記事もあった。それだけ深く傷ついているのだろう。

むすこのこころの一大事。忙しさを理由に、ないがしろにはできない。

あすは、子どもの発達にくわしいお医者さんのところに行って、もろもろ相談してみる予定だ。

我が家の家族構成: むすこの父である筆者は現在、本づくりや取材執筆活動を行っている。取材や打ち合わせがなければ自宅で働き、料理以外の家事を主に担当。妻は教育関係者。基本的には9時~17時に近い働き方をしていて、職場に出勤することが多い。小1のむすこのほかに、保育園に通う3歳のむすこもいる。

【書き手】末沢寧史。異文化理解を主なテーマとする、ノンフィクションライター、絵本作家。出版社勤務を経て独立。絵本作品に「海峡のまちのハリル」(小林豊・絵、三輪舎)。出版社どく社を仲間と実験中。妻は教育関係者。本連載では、むすこの小学校入学直後に直面した行きしぶりと不登校をきっかけに、子どもという「異文化」について記します。