30歳だった2004年。長女が生まれました。転勤族の会社員の夫と結婚して、3年目のことでした。長女は多発奇形の体で生まれ、産後の生存も危ぶまれる中、大きな手術を乗り越えてくれました。東京女子医大のNICUでの治療がはじまり、私は新宿にアパートを借り毎日病院へ通いました。くだにつながれた小さな体。治療から5か月後、息を引き取りました。自分としては、かわいい第1子だったけれど、周りからは「早く忘れなさい」「いつまでも亡くなった子のことを言わないで前を向いて」とも言われました。長女を亡くした後、産休を取る…
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