ソーシャルアクションラボ

2018.08.23

「いじめる人間がいなくなれば、 いじめはなくなる」 フランス在住ライター髙崎順子さん

フランス在住のライター、髙崎順子さんは自らの体験や長男がいじめ加害者となった経験から、いじめの加害者に着目する。加害者がいなくなればいじめもなくなる、と。髙崎さんに寄稿してもらった。

                                                                                  写真/村松史郎

たかさき・じゅんこ 1974(昭和49)年東京都生まれ。東京大学文学部卒業後、出版社に勤務。2000年渡仏し、パリ第4大学ソルボンヌ等で仏語を学ぶ。ライターとしてフランス文化に関する取材・執筆の他、各種コーディネートに携わる。著書に「フランスはどう少子化を克服したか」(新潮社)など。

 私は1974年生まれ、団塊ジュニアの世代に当たります。埼玉県ののんびりした住宅街、さほど荒れてもいない小・中学校で義務教育を受けましたが、いじめはとても身近なものでした。理由や規模、激しさはいろいろに異なりながら、いじめはいつもそこにあった。ちょうど受験戦争が激化した時代で、学習塾が学校に次ぐ団体生活の場所となっていましたが、そこでも同じように。私自身いじめる側も、いじめられる側も、知っています。

 その経験から、いじめに対しては一つの強い思いがあります。それは、「いじめる人間がいなくなれば、いじめはなくなる」というものです。

◇いじめには、必ず加害者がいる 

 思いの原体験は、いくつかあります。

 一つは私自身の、中学時代の塾での経験です。性格の強い女生徒(Aさんとします)が、同じクラスの他の女生徒5人を順番に標的にして、いじめを繰り返していました。身体的な加害はないものの、プリントを回さない、会話を無視をするなど、明確な「仲間はずれ」の行為です。そして彼女以外の女生徒5人も、自分が標的でないときは、必然的に加担するようになっていました。Aさんは勝ち気な性格に加えて外見も可愛らしく、お金のある家の子で、人心掌握にたけているタイプ。「彼女に嫌われない」ということが、あの狭い世界ではとても重要だったのです。標的でなくなることだけを願いながら、私も、被害者と加害者の立場を行き来していました。

 その状況が変わったのは、それまでAさんと一番仲の良かった女生徒に「順番」が回ってきた時です。Aさんが塾を休んだある日、彼女はクラスの女生徒たちに謝りました。「本当はいじめなんてしたくなかった。Aさんが怖くてやっていた」と。それに続いて、一人また一人「私も」と言い出し、最後には女生徒が全員そろって、塾長に状況を話しました。塾長はAさんと彼女の親と三者面談を行いましたが、Aさんは泣きじゃくって事実を認めず、親の方も「うちの子に限って」「うちの子の方がいじめられているのではないか」と聞く耳を持ちません。その直後にAさんは塾を辞め、それから塾では一切、いじめは起きませんでした。卒業までの時間がとても和やかに過ぎたように記憶しています。

 この他にも、身近な人の体験で、似たケースを多く見てきました。たとえば中学時代、ささいなきっかけで仲良しグループの仲間はずれになり、それが全クラスに波及して、一斉無視や持ち物の破損行為を受けた知人。知人が謝ろうと態度を変えようと、状況は改善しませんでした。が、その親が首謀者たちを呼び出し、「いじめをやめてほしい。今やめるなら、あなたたちの親には話さない」と諭したところ、首謀者たちは率先することをやめました。すると潮が引くように、クラス内での加害行為も収まったのです。小学校高学年でいじめにあっていたけれど、いじめグループと中学校が別になったら、その後は標的にならなくなった、という人もいます。

 これらの経験から、私の中に強烈に刻み込まれたのが、冒頭の思いでした。いじめには必ず、加害者がいる。その加害者がいなくなれば、もしくは「加害者」でなくなれば、いじめは終わるーー逆に言うと、被害者が何をしても、加害者がいる限り、いじめは終わらないのです。1人の被害者がその場を逃れれば、その被害者へのいじめは終わるでしょう。でも加害者が加害者である限り、別のターゲットを見つけて、同じことを繰り返すのですから。

◇「子どもが暴力的になるには、必ず原因がある」

 その後私は日本で学業を終え、フランスで就業し、家庭を築いています。幸運にもいじめと縁遠い日々を送ってきましたが、今から5年前、あの思いが痛烈によみがえる出来事がありました。長男が3歳の時、「保育学校」と呼ばれる、フランスの公立幼稚園に入学した直後のことです。「長男が級友に暴力を振るい、その親御さんから苦情が来ている」と、夫ともども、校長・担任から呼び出されました。

 開口一番校長先生に言われたのは、次の言葉でした。

「子どもが暴力的になるには、必ず、原因があるんです」

 続いて、「家庭で何か最近、状況の変わったことはありませんか?」。数カ月前に弟が生まれたばかりということ、同じタイミングで夫の出張が増えたこと、などを話しましたが、その間、先生方からのコメントは一切ありません。ヒアリングに終始した20分ほどの面談ののち、求められたのは「小児精神科医のカウンセリング」。まだ3歳の小さな子に、と驚きを隠せずに言うと、先生は断固とした口調で、冒頭の言葉を繰り返しました。

「子どもが暴力的になるには、必ず、原因があります。それは家庭の事情とは限らず、医学的な要因かもしれません。それが分かれば、私たちもふさわしい対応ができます。とにかく一度、小児精神科に行ってください」

 その後、かかりつけの小児科医から小児精神科医を紹介してもらい、5回ほど受診。診断結果は「特別の攻撃性や障害は見られない。一時的な精神不安」でした。保育学校入学と弟誕生が重なったことで、不安定になっているようだ。親は子どもと過ごす時間を増やし、その時間が穏やかであるよう意識してほしい、と指導されました。

◇いじめ行為をなくすための支援

 あとで思い返すと、私たち親にも、長男の変化に思い当たるところがありました。が、医療のプロに言われるまでは、それを直視できずにいた。私たち親の方もいっぱいいっぱいだったのです。先生方は息子も私たちも責めることをせず、理解と対応策を示してくれました。その支援を受け、意識して長男をフォローした結果、様子が落ち着き、暴力を振るった相手の子とも、いいお友達になりました。

 長男は環境の変化に弱い性質らしく、その3年後の小学校入学の際も、やはり言動の荒れた時期がありました。同じように学校に呼ばれ、再びカウンセリングを受診。その時の診断は前と異なり、「小学校の生徒として、精神的に成長していないこと」と、「指先が不器用で、小学校の筆記学習でストレスがたまっていること」の2点でした。

 前者への対応は月1回のカウンセリングと経過観察、後者の課題には2週に1回、理学療法士との筆記動作の訓練を半年間、処方されました。対応が適切だったのでしょう、長男の態度は次第に落ち着き、小学3年生の今は、問題行動なく学校生活を送っています。私たち親も、新学期や新しい習い事の始まりなど、環境の変化があるときには、いつもより長男と話す時間を持つなど、気をつける習慣ができました。

 小学校に上がった際、長男には3人の「悪ガキ仲間」がいました。学校はそれぞれに親との面談を持ち、対応をしたそうです。1人は長男と同じカウンセリングを受け、聴覚問題からのストレスが原因との診断の後、ケアを受けて落ち着いています。そのほかの2人は翌年、校内で一番威厳と熱意のある男性教諭のクラスに配置され、その強い性格が悪い方面に出ないよう、要観察生徒としてフォローされています。

 3歳の時点でもし、長男の行動を放置していたら。私たちは長男の状況や性質と向き合うことをせず、長男により強いストレスを与え続けていたかもしれません。長男はストレスを暴力に置き換え、級友にぶつけるやり方に慣れてしまったかもしれない。学校の対応、そして医療者による診断と通院のおかげで、私たちは長男を「いじめる子」にしないで済んだと言えます。

 暴力は、振るう方が振るわなくなれば、なくなるもの。「加害者がいなくなれば、いじめはなくなる」という考えを再度、違う形で実感した経験でした。 

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