ソーシャルアクションラボ

2023.06.07

折り紙は1枚まで? 学校のルールと、むすこのペース|せんさいなぼくは、小学生になれないの?⑨

⑨7日目(2022年4月19日)

今日は、前日の反省で、まず「学校に行きたくない」というむすこの心を受け止めてみよう、と決めた。このまま公立校に通うのか、私立校がよかったのか、オルタナティブスクール(公教育以外の学びの場)への転校も視野に入れるかなど、昨日はひとしきり夫婦で話すが、答えはわからない。

夫婦で話し合いになったのは、いま通う学校は規律が多くて、あれもダメ、これもダメと、ダメなこと が多いとむすこが漏らしていたからだ。   大人からすれば、ささいなことかもしれない。   たとえば、入学前から通いはじめた学童ではグラウンドのこの遊具は使ってはいけない、折り紙は1枚まで、など。学校という新しい環境で「何ができるか」よりも、「何ができないか」を制約されていく印象が強かったようだ。   学校がはじまったらはじまったで、〝正しい〟姿勢でいること、ものは〝正しい〟場所に置くこと、元気よく返事をすること、おしゃべりをしないことなどが細かく細かく求められる。コロナ禍で、マスク着用、黙食、手洗いなどもかなり厳しく指導されていた。   小学校になると、普通の公立学校では時間割も決められていて、幼稚園のようにいつでも自由に好きな遊びに没頭できるわけでもない。工作好きのむすこは小学校でも思う存分工作ができると楽しみにしていたようだが、工作の時間は週に1度だけ。幼稚園とのギャップに苦しんでいるようだ。   教室という空間に息苦しさを感じているのかもしれない。むすこにもっと合う、よりよい環境を探してあげたほうがいいのかもしれないと、悩みはじめる。 一方、まだ学校生活ははじまったばかりで、見切りをつけるには材料がそろっていないようにも感じていた。   「音楽室に木琴があったよ」「理科室にメダカがいたよ」と、学校探検ツアーのなかでもむすこはたのしいことをそれなりに見つけてはいた。   残念ながら幼稚園のときに、仲のよかった友達や近所の子どもたちとは同じクラスにはなれなかった。それでも、クラスメートとともに過ごす時間が長くなれば、今は少ない友達も直に増えるだろう。   まずは、親の時間に余裕のあるうちに(登校がすんなりとは行かないことを想定し、4月は仕事を減らしていた)、子どもの思うペースで進ませよう。心を傷つけないようにしよう。 と話し合っていたのだが、いざ朝になると、なかなかむすこが着替えをしないので、着替えを手伝い、せきたてたりもしつつ、集団登校の列に向かう。今日は、妻には家で待っていてもらうことにする。 7時50分。近所の1年生は、別の1年生が親なしで集合場所まで行くことに決めた影響を受けて、「お母さんは来なくていい」と、家の前で母親に宣言していた。 が、「やっぱり来て」と言い、さらに、「やっぱり一人で行く」と、二転三転を繰り返している。その子のお母さんは心配なようで、一人で離れていく我が子をしばらく見つめていた。 「◯◯くん、今日、一緒に帰ろうー!」と、その子に集合場所で誘われるが、「今日は帰れないんだ。学童があるから……」と悲しそうな顔のむすこ。近所の子は学童に行かない子のほうが多いから、こういう差も、寂しさにつながるのだろう。 「どこまで一緒に行く?」と聞くと、「橋の下まで」、つまり校門まで、と言うので、プレッシャーはかけずにその通りにしてあげる。細い道を抜け、雑木林の谷を通り、陸橋に着く。 陸橋を降りたところで、「ここでいい?」と聞くと、「いやだ」と手を引かれる。「どこまで行く?」と聞くと、「(校舎の)玄関まで」と言う。 校門をくぐると、脇にある池で、ランドセルをひっくり返して道端に置いた子どもたちが飛び石に乗って遊んでいる。グラウンドにはサッカーをして遊ぶ子どもたちがいる。グラウンドの半ばまで来たところで、むすこは手を離す。 玄関の手前で、6年生の面倒見のいい子が、手に何かを隠し、近くにいた小1二人に「どっちだ?」と言った。むすこは遠巻きに見ている。これもいつもの行動パターン。 二人は、左手を指す。 「◯◯くんは?」と、6年生はむすこに話を向けてくれた。 むすこは一瞬、ぷいと顔を横に向けたが、次の瞬間、その6年生に駆け寄り、右手を指差した。6年生は右手を開く。「◯◯くんのあたりー!」そう言われて、むすこはうれしそうに、玄関のなかに入っていった。 学校の楽しさなんて、こういうささいなことの積み重ねなのかもしれない。   8時10分。むすこは玄関のなかに入ると、うなだれぎみにハイタッチし、あとはすんなりと校舎に入っていった。有言実行ではあるが、ほっとひといき。玄関を出て帰ろうとすると、ツーブロックのおしゃれな髪型の子が、若いお母さんの手にしがみつきながら登校している。 同じクラスで、初日に泣いていた背の高い子だ。 きっと集団登校できず、お母さんが付き添いしているのだろう。なかばお母さんの腕にぶら下がるようにして歩いていて、お母さんはしょうがないなあというふうに淡々と歩いていく。 うちだけではないのだなあ、とつくづく思う。 うちの子のようにわかりやすく表に出ているかどうか、その度合いや、性格の違いはおおいにあるのだろうけど、みんなそれぞれのペースで楽しみを見つけ、不安に向き合い、がんばろうと、朝の道を歩いている。 親も親で、忙しいんだけどなあとか、この子これから大丈夫だろうかと心配しながら、頼りなげな足取りで進む我が子を送り出している。 そんな平凡な風景に一人ひとりのドラマが眠ることを思うと、なんだかちょっと泣けてくるのは、少しばかり心が折れているからだろうか。

我が家の家族構成: むすこの父である筆者は原稿執筆当時、41歳。本づくりや取材執筆活動を行っている。取材や打ち合わせがなければ自宅で働き、料理以外の家事を主に担当。妻は40歳。教育関係者。基本的には9時~17時に近い働き方をしていて、職場に出勤することが多い。小1のむすこのほかに、保育園に通うむすこもいる。

【書き手】末沢寧史。異文化理解を主なテーマとする、ノンフィクションライター、絵本作家。出版社勤務を経て独立。絵本作品に「海峡のまちのハリル」(小林豊・絵、三輪舎)。出版社どく社を仲間と実験中。妻は教育関係者。本連載では、むすこの小学校入学直後に直面した行きしぶりと不登校をきっかけに、子どもという「異文化」について記します。